ネメシスの嘆き-6
――1ヵ月後。
考古学者は、密林の奥深くに眠る遺跡へ赴いていた。
バーテンダーから、この地にストシェーダ時代の貴重な文献が、わずかに残っていると聞いたからだ。
話は真実で、予想だにしなかったものまで入手できたのだが……
「きゃあああ!先生!きたぁぁ!!」
考古学者の助手兼恋人の少女が、追いかけてくるリザードマンの群れを指差して青ざめる。
密林の奥で、いまだにこの生物はわずかに残っていたらしい。
考古学者は助手に荷物を放り渡した。
一人ならともかく、あの数では彼女を守りきれるか微妙なところ。逃げるが勝ちだ。
「逃げるぞ!四足になるから飛び乗れ!」
琥珀色の両眼が光り、引き締まった若々しい体が、見る間に姿を変えていく。
破れた衣服を毛皮から振り落とし、リサードマンたちへ威嚇するため鋭く吼えた。
暗灰色の大きな狼となった考古学者ギルベルト・ラインダースの背へ、荷物をしっかり背負った少女は、必死で飛び乗った。
少女を背に乗せ、矢のように密林をかける。
人狼の血を引くラインダース家の子孫は、今では世界中に散らばっている。
血はずいぶんと薄まり、変身できない者も多い。だがギルベルトのように、人狼の特徴を濃く受け継ぐ、先祖返りの者も時おり現れる。
人狼はもう伝説に等しく、背中の彼女も最初は驚いたが、それでも受け入れてくれた。
狼化の後は興奮がなかなか収まらず、その後の営みが激しすぎてしまうから、四足になるのに、あまり良い顔はされないのだが……。
しかし、命がかかっているのだから勘弁してもらおう。
濃い緑の中を、太古は人間だったというリザードマンたちから全力で逃げる。
狼化したギルベルトの速度は凄まじく、障害物を避けながらぐんぐん引き離していった。
切り立った深い峡谷が見え、大きく踏み込んだ。高くジャンプして峡谷を飛び越える。はるか下には激しい川の流れが見えた。
ここさえ越えてしまえば、もう大丈夫。
大きな石がごろごろ転がる対岸は、密林とはうって変わって開けた地だ。
草木もそれなりに生い茂っているが、すぐそばには街まで続く道もある。
がけ淵を踏みしめ、舌を出して息を整えながら後ろを振り返ると、リザードマンたちが悔しそうに密林へ戻っていくところだった。
「ハァ……こわかったぁ……」
そろそろと背中から降り、少女は荷物を確認する。
ギルベルトも人間に戻り、荷物から着替えを出して身につけ始めた。
「全部あるか?」
「大丈夫です……あ!これ、すごく綺麗ですね!」
銀箱に入っていた、空色の魔石がついたペンダントに、少女が感嘆の声をあげる。
「プレートが一緒にあるけど、持ち主の名前でしょうか?えと……」
古代文字で書かれたそれを、ギルベルドは後ろから覗き込む。
文字の部分は損傷が激しかったが、その上に刻まれた飛竜の紋章ははっきり見えた。
「多分……カティヤ・ドラバーグ・ストシェーダだ」
「え?」
キョトンとする少女から箱を取り上げ、荷物の中に押し込める。
「それより、トカゲから逃げ切ったご褒美が先に欲しいな」
ハーフエルフ特有の少し尖った彼女の耳を甘噛みして、おねだりを開始した。
「ちょ……先生っ!」
「こういう時は、ギルって呼ぶ約束だろ?」
夕日に照らされる小柄な身体を抱き締め、柔らかな唇を貪る。
大きな岩の陰だし、どうせ周囲には誰もいない。
ご先祖さまは、愛する妻を『つがい』と呼んだらしいが、彼女にそう呼ばせてくれと言う日も近いだろう。
不意にバーテンダーの寂しげな顔を思い出した。
孤独な『神さま』は、海底城の魔法使いから、自分と同じ存在を手に入れる事はできなかったようだ。
しかしこの星には、まだまだ無数の種族が生き残り、独自の進化を遂げ、精一杯に生き延びている。
多岐に渡り、混ざり合う血から、いつか思いも寄らぬ存在が誕生するのかもしれない。
それはまだ誰にも見えない可能性。
神さまの持つ、金の魔眼にさえも……。
終