ネメシスの嘆き-3
「……これらは全て、どこの国の歴史書にも正確には記されておりません。あまりにも混乱が大きく長すぎ、誰も正確に書けなかったのです」
磨いたグラスを順序よく積み上げながら、バーテンダーは淡々と語った。
あまりにも奇想天外な、胡散臭い話だ。
確かに、古代に優れた魔法文明があったらしい事は推測されている。
今の技術よりはるかに高度な遺跡の数々が、各所に残っているからだ。
しかしその文明がどのように興ったのか、なぜ突然滅んだのか、余りにも手がかりが少なく、曖昧なままだ。
――誰も記せなかったのなら、それを全て語れるアンタは何者だ?
しかし考古学者は、代わりに別の質問をした。
「じゃ、フロッケンベルクの錬金術ギルドと、ロクサリスの魔術師ギルドは、、未だに自分達が本家って主張してるけど、そもそも最初から別ものだったんだ?」
「はい。あの二つは最初から別に作られました」
「へぇ、やっぱりね……」
こんな事を学会で話しても、誰にも信じてもらえないだろう。
証拠も何もないのだから。
しかし、密かに感じていた自分の推測が正しかった。それだけで十分だ。
金トカゲの伝説は、今でもお伽話しとして各地に残っている。
幼い時に読み聞かされたそれに、考古学者はずっと興味を引かれていた。
同じような話が、これだけ世界中にあるのだから、ひょっとしたらこの伝説は本当かもしれないと思っていた。
どんなに数が少なくとも、魔法は未だに存在している。
今では伝説となっている人狼だって……血は薄まり数も少ないけれど、ちゃんと存在している事を、考古学者は知っているのだ。
「海底城の研究は、じつに優れておりました……」
バーテンダーの話は、まだ続きがあるらしい。
「けれど彼らの作り出した作品に、完全な真の不老不死は、一つとしてなかった。どれにもなにかしら『救済』があった」
「救済?」
妙な言い回しと、その単語に含まれた微妙な皮肉に気付き、考古学者は聞き返す。
「ええ。真の不老不死とは『死なない』のではなく『死ねない』のです。海底城の魔法使いたちは、それがどれほど恐ろしいことか、本能で気づいていたのでしょうね。
自分たちのために研究し作り出した不老不死の生命体には、必ずどこかにそれを絶つ術を与えた」
この世の全てを知っているように、バーテンダーはゆったりと微笑む。
「そうですね……貴方がご存知の例をあげるなら……ヘルマン・エーベルハルト」
唐突にあげられた名に、考古学者は軽く驚いた。エーベルハルトの姓はもうないが、考古学者の直系先祖にあたる人だ。
「はるか昔、彼に不老不死を与えた魔物も、元は海底城の放置した試作品でした。その力を取り込んだヘルマンは、その気になれば氷の魔人として永遠を生きれるはずでしたが……」
「今はフロッケンベルクの墓地で、愛妻と眠ってるよ」。
記録によれば、天寿を全うした妻を抱きしめ、氷ついた身体で鼓動を止めたまま、二度と目を覚まさなかったらしい。
北の静かな墓地を、考古学者は思い出す。
妻と氷塊の中で眠る顔は、とても幸せそうだったことだろう。
未だに毎年、二人の墓には小さな奇跡が起こる。
北の短い夏の日。一緒に眠る妻の誕生日には、とても美しい氷の花が咲くのだ。
「ええ……」
それも知っているとばかりに、バーテンダーは頷く。
「悪魔たちにも全て、自らを終わらせる手段はありました。しかしそれは、簡単なようでとても難しい」
「へぇ、どんな手段?」
考古学者の問いに、バーテンダーは微笑んだが、答えてはくれなかった。
「海底城を失い、世界を流浪し続ける悪魔たちのために、私はこの酒場を作りました。長すぎる生を送る彼らに、せめて翼を休める場所を提供したのです。
ただし私は、誰の味方でもないので、一切口は聞きませんでした」
店の壁へと、バーテンダーは金色の瞳をちらりと走らせる。
薄いベージュ色の壁には、手入れされた楽器たちが丁寧にかけられていた。
銀色のフルート、飴色のヴァイオリン、小さな金のハープ、ガラス製のハンドベル、古い歌の楽譜……。その下にはしっかり鍵のかかったグランドピアノが置かれている。
最後のグラスを磨き終わったバーテンダーが、布巾を丁寧にたたんだ。
「そして、この酒場もついに必要なくなりましたので、最後の記念にと、金のトカゲを熱心に研究しておられる貴方をご招待したのです」
知らずに詰めていた息を、考古学者は吐き出す。
「光栄だ。……もっとも、俺がこれを話しても、誰にも信用されないだろうな」
「ええ。それでもご満足いただけましたでしょうか?」
にこやかに尋ねるバーテンダーへ、首を振った。
「欲を言えばあと一つ……どうしても教えて欲しい事がある。全ての運命を変えた金のトカゲは、一体どうしてこの星に落ちてきた?」
「……また、少しばかり長い話になりますよ」
細長い瞳孔をした金色の目で、バーテンダーが考古学者を見据える。
「いいさ。ぜひ聞きたい」