鉄格子の向こう側 *性描写-4
しばらくすると、食事係が二人分の皿を持ったきた。
エリアスは黙って、片方をミスカの食事差し入れ口から置く。
鉄格子の向こう側とこちら側で、一言も交わさない静かな食事が始まる。
ミスカは膝に置いた皿を見渡した。
パンにゆで卵に温野菜、小さな焼き魚。
よくあるメニューだったが、今日は珍しいものが乗っていた。
つやつやした大きな苺が二粒。
しかしメニューなんかどうでもいい。どうせ何を食べても灰の味しかしないのだから。
どうやらそう感じるのは、ミスカだけらしい。
他は皆、ちゃんと食べ物の味がわかるようだ。
ツァイロンは味覚障害かと調べたが、特に異常もなく原因は不明だそうだ。
鉄格子の向こうで、エリアスも同じものを、小さなテーブルで行儀よく食べていた。
無表情で黙々と食べている横顔からは、やっぱり何も感じられない。美味そうにも食べていない。
機械的に淡々と食べ物を口に運んでいるだけ。
もしあれが灰の味しかしなくとも、良い子ちゃんは文句など言わないのだろう。
妙に腹立たしくて、手もつけないまま、エリアスを睨んでいた。
エリアスは最後に苺を摘みあげた。赤い小さな実をしばらく眺めたあと、口に放りみ、俯いた。
「?」
ポカンとして、ミスカは口を大きくあけたまま、皿を取り落としそうになった。
苺を口に含んだエリアスが、とても幸せそうに頬を緩めていた。
飲み込むと、もう一粒の苺も口に入れ、また幸せそうに目を細める。
その表情を見ていると、このありふれた苺が、まるで世にも貴重な宝物に思えるほどだ。
(なんだっけ……?)
とっさに思い出せなかった単語を、無駄に植えつけられた知識の山奥から、必死で探し出す。
(ああ、そうか……)
――好き。
エリアスは、この小さな実が好きで、口に入れて嬉しかったのだ。
「……おい」
空になった皿を片付けるエリアスに、声をかけたが、やはり無視された。
「おい!」
「……」
「おい!……………………エリアス!!」
初めて名前を呼ぶと、やっと振り向いた。
「何か?」
冷えた抑揚のない声で尋ねられる。
「あ……」
一瞬、言葉に詰まると、エリアスはまた顔を背けかかった。
「おい、待てって!エリアス!!」
焦って叫び、自分の苺を手に持って突き出す。
「――やる」
数秒間、沈黙が満ちた。紺碧の瞳が宝石のような苺を凝視し……。
「いりません」
わずかに眉を潜め、プイと横をむかれた。
「なんでだよ。好きなんだろ?食ってニマニマしてたじゃん」
「っ!?」
エリアスの頬が、見る見るうちに朱に染まった。
肌の色がもともと白いせいで、面白いほど変化がわかる。
「ニマニマなど、しておりません!!」
いつもの無表情はどこへやら、噛み付きそうな表情で、真っ赤になって否定する。
つい、ミスカも意地になって言い返した。
「絶対してた。苺食ってニヤけてたの、しっかり見た」
「あ、あれは……っ!」
「好きならもっと欲しがりゃいいじゃん。なに恥ずかしがってんだよ」
淫靡に性奉仕する痴態を、散々見せておきながら。
好物を知られたのが、そんなに恥ずかしいのだろうか。
「〜〜っ!」
エリアスは顔や首どころか、白い閨着から除く胸の谷間まで真っ赤にしている。
「おかまいなく!甘味と酸味の程よい調和に、頬の筋肉が弛緩しただけですから!」
おかしな言い分を怒鳴り、そのままシャワー室に駆け込んでしまった。
閨から出るなという言いつけを守る以上、そこしか逃げ場がなかったのだろう。
「……くっく、なんだよ、アレ」
一人残されたミスカは、思う存分笑いころげた。
なんだ。ちゃんと生きてたクセに。嬉しい顔も、怒った顔も、ちゃんと出来るクセに。
死んだフリが巧すぎたんだ。
笑いすぎてヒクヒク震えながら、苺を口に放り込んだ。甘酸っぱい味が、口中に広がる。
(あ、美味い……)
何を食べても灰のように味気なかったのに。
(それに、笑ったのなんか、久しぶりだな……)
そう思って、ふとそれが間違いだったのに気付いた。
埋め込まれた知識で、色んな感情を知っていたけれど……自分で笑ったのは、生まれて初めてだった。
誰かを見て、可笑しいと思ったのも、可愛いと思ったのも、全部初めてだった……。