34 塩の花嫁-1
朝日の差しこむ飛竜の厩舎。いつもなら竜騎士たちは、飛竜に朝食を用意している時間だ。
しかし今朝ばかりは、誰もがそれを忘れていた。
飛竜たちさえも文句を言うどころか、興味シンシンで長い首を伸ばし、一部始終を眺めていた。
「っ……兄さん、ナハトを宜しく頼む」
カティヤはようやく顔をあげ、軍服の袖で涙を拭う。
クリーム色の地に深緑とえんじ色のラインが入った、今日限りで脱ぐ竜騎士の軍服。
初めてこれを着た五年前が、昨日のようだ。
飛竜の紋が刻まれた金ボタンをはめた時には、嬉しさで手が震えた。
けれどこの手は、もっと強烈に掴みたいものを思い出してしまった。
優しく賢い、最高の半身だった飛竜の手綱は、カティヤの手から永遠に離れた。
「ああ。俺を選んでくれた事を後悔させないよう、がんばるさ」
頷いたベルンが、苦笑交じりに続ける。
「カティヤが里に戻るなら、いつでもそれを見せに行けるんだがな……」
ゴーグル越しの視線は、カティヤの背後にいるアレシュ王子へ向いていた。
「おや、先日すでに証明したはずだが」
アレシュが笑う。
「ゼノからここまで、魔眼は一瞬で移動できる。妹君といちゃつく姿なら、いつでも見せつけてやれるぞ」
「カティヤだけ送り届けて、さっさとゼノに戻って頂きたいものだ」
引きつった声で返答するベルンは、額にビキっと青筋を浮べているに違いない。
「兄さん!アレシュさまも……っ!」
間に挟まれたカティヤは、長身の兄と王子を変わりばんこに見上げる。
まったくこの二人は……。
「ともかく、本人にきちんと了解をとらなくてはな」
アレシュが呟き、不意に両手を握られた。激しい渇望をこめ、黒と金の瞳がカティヤを見つめる。
「十七年も経てば、誰でも変わる。昔のカティヤはか弱くて可愛くて、ずっと俺が守ろうと思ってた。だが、今の強いカティヤはもっと好きだ」
「アレシュさま……」
「俺の中身も変わったかな?自分ではわからないんだ……今の俺と、これからずっと一緒にいてくれるか?」
「……ぁ」
竜騎士や飛竜たちの視線が集中し、首筋まで真っ赤になるのを感じる。シンと静まり返った中、陸にあがった魚のように口をパクパクさせた。
切れ切れの幼い記憶の中、出会ったばかりのアレシュは確かに乱暴だった。
ひび割れた声で、カティヤが大好きだと繰り返し訴え、カティヤが自分から離れる事を嫌がり、時に他の人間に盗られまいと強く抱き締めすぎ、泣かせてしまうこともあった。
『カティヤ……ドウシテ……オイテク……?』
カティヤが部屋の外に行こうとしたり、他の人間の所に行こうとすると、悲しそうにそう繰り返した。
どうしてカティヤが自分だけの物になってくれないのか、他の人間との関わりも必要だということが、昔のアレシュには理解できなかった。
近寄れる人もいず、長い間独りぼっちで閉じ込められていた魔眼王子は、力加減や人との付き合い方など学べなかったのだ。
(今の貴方も、すっかり変わった……)
人の気持ちを思いやり、自分の満足より相手の幸せを考えられるよう、とても素敵に変わった。
酸欠で頭がクラクラして、言葉が喉に張り付く。
声すら出せず、ようやくコクンと頷いた。
満面の笑みを浮べたアレシュに抱き締められるのと、竜騎士たちが、からかい混じりの歓声を上げるのは同時だった。
飛竜たちも翼をばたつかせ、楽しげにいななく。