30 死の翼-1
〔おじさま……どうして……〕
血塗れの飛竜が、震える声で呟く。
黒曜の瞳から涙が零れ、塗料と血を細く洗い流していく。
バンツァーは心の中で、深いため息をつく。
まだ若い雌飛竜に、辛い思いをさせてしまった。
――それでも、どちらかが死の翼に捕われるしかないのなら、こうするしかなかった。
パレードの最中、不意に意識が途切れた。
気付けばバンツァーは闇の中で、漆黒のつる草に全身を絡め取られていた。
つる草は暗緑色の皮膚を食い破り、鼻や耳、口の中へと侵入していく。
痛みは感じなかった。奇妙な高揚感が全身に沸き、力が満ち溢れる。
まるで最盛期まで若返ったような気分だった。
【 主ヲ 守レ 】
つる草たちのざわめきに、咆哮をあげて応えた。
誰が敵で誰が主か、バンツァーにしか見えないつる草たちが教えてくれた。
薄紫の飛竜は、何度噛まれても岩山に叩きつけられても、しぶとく飛びかかってくる。
若く美しい雌だった。健康そうで飛び方も巧く、何よりも一番大切な事を知っていた。
彼女もまた、自分の主を守るために必死で戦っている。
素晴らしい飛竜だ。
主の敵でさえなければ、きっと求愛していただろう。
〔※※※※!!※※※※!!〕
彼女は何度もバンツァーへ何か叫んでいるが、耳に詰まったつる草たちが、彼女の言葉を遮り不明瞭な音にしてしまう。
つる草がさえぎらないのは、銀鎧をつけた主の指示だけ。
同族との戦いなど、好むはずがない。特に彼女とは戦いたくなかった。
それでも彼女の主は、バンツァーの主の敵だ。
何と引き換えにしようと、主を守り抜かなくては。
バンツァーの尾に打たれ、爪に引き裂かれ、全身を彩る白と金の塗料に、無残な鮮血の色が混ざっていく。
彼女もまた、必死で反撃してきた。
鋭い爪がバンツァーの身体にいく筋も新しい傷をつけていく……。
――新しい傷?
ふと、小さな違和感が沸きあがった。
左前足の古い傷痕は、どこで付いた?右のわき腹に細長く浮かぶものは?
塩の道でストシェーダ軍と共闘した。
万年雪の山脈で人狼達と戦った。
湿地帯でリザードマンと死闘した。
――その時、背中には誰が乗っていた?
パレードで背中に乗っていた男……バンツァーが噛み殺す寸前だった彼は、一体誰だった?
ざわざわと、つる草たちがバンツァーの体内へより深く侵食し始める。
不穏な気配を感じたつる草たちは、不審感を誤魔化そうと、ズル賢く囁き続ける。
【 主ヲ 守レ 死ノ翼カラ 守レ 】
(守るとも!守って見せる!俺はいつも、それだけを考えて、生き抜いてきた!!)
それでも違和感は強まっていく。
戦場で迷いを感じたことなど、一度もなかったのに。
いつでも背中には信頼する主が乗っており、バンツァーを励ましてくれた。
ふと、下から轟音があがり、地上を見れば主が魔眼の王子へ追い詰められている。
〔※※※※!!〕
雌飛竜はまた何か叫んだが、やはりその言葉はつる草に邪魔をされた。
それでも立ちはだかろうとする雌飛竜を尾で叩き飛ばし、主の元へ急降下する。
「※※※※※※……※※……」
魔眼王子の腕の中、プラチナブロンドの女が何か訴えたが、それも聞えなかった。
唯一はっきり聞えたのは、主の大きな笑い声。
「ハ、ハハ……この飛竜も焼き殺してみたらどうだ!?」
主は移動魔法を唱え、どこかに消えてしまった。
魔眼王子と対峙するバンツァーを置き去りにして。
心臓を、氷の手でわし掴まれたような気がした。
意識の闇の中、つる草に絡みとられた巨体が震える。
――違う!!
バンツァーに絡み付いたまま、つる草たちがビクリとざわめく。
どんなに絶望的な状況でも、主はバンツァーを見捨てたりしなかった。
バンツァーさえ犠牲にすれば容易に助かる時でさえ、決してそうしようとはしなかった。
バンツァーが主を守り抜いたように、主もバンツァーを守り抜いた。
いつだって、主は……三人の主たちは!!
(アーロン!!リクハルド!!ベルンハルト!!俺の主は彼らだけだ!!!!)
もう一度バンツァーに贋物の主を掴ませようと、つる草たちが必死で侵食を深めていく。
抗うバンツァーの耳に、今度ははっきりと若々しい飛竜の声が届いた。
〔おじさまぁぁぁぁぁぁ!!!!〕
傷だらけのナハトが、槍のように突撃してくる。
一直線に猛進する飛び方に、迷いはない。
主を守るため、バンツァーの息を止めようと全力で向かってくる。
(ナハト……)
つる草たちに抗い、最後の力を振り絞り、必死で……
――牙を剥き、吼えた。
バンツァー自身の意思で飛びあがり、その喉首へ大きく口を開ける。
一瞬後、空中で死闘に幕が降りた。
左鎖骨と首の付け根の間。飛竜の急所へ致命傷がくわえられる。
柔らかな首の皮膚が喰い千切られ、翼と手足を繋ぐ神経の束が、その役目を永遠に終えた。
破れた動脈から赤黒い噴水が上がる。