揚羽蝶-1
季節は、春。
アイツが東京に行って三年。
この間、アイツが俺と電話やメールをする事はあっても、直接会いに来る事は一度も無かった。
もう、揚羽蝶が飛んでいる。
薄公英も菜の花も咲いている。
そして俺はと言えば花粉症に侵されている。
困った季節だ。
地元でのギターに挫折した彼女は、三年前、東京に行くと言い出した。
「もっと有名になりたい」
ただ、それだけの為に。
当然俺だって止めた。
「東京に行ったからって成功する訳じゃない」
誰が何を言っても、奴はその意志を曲げなかった。
「あたしの事もっと知ってもらいたいじゃん」
持ち物は、今まで貯めた有り金と、ギター一本。
「俺の先輩が言ってたよ。ホントに…東京行った位で、何でも出来ると思ってたら大間違いだった、って」
もう、無駄だった。
行ってほしくない、俺の精一杯の抵抗。
「東京は…怖いんだって」
もう、何も言わない。
もう、止めない。
俺の役割は彼女の背中を押してやる事。
「頑張れよ」
ありきたりな事しか言えない自分が醜悪だった。
本当は行きたくなかった。
彼女を見送りになんて。
「帰って来た時は…あたしが失敗した時だから」
ホームにベルが鳴り響く。
「いつでも帰って来いよ」
頷いて電車に乗る彼女の背中は、とても小さく頼りなかった。
あれから三年。
いつの間にか、三年。
長かった。
短かった。
いいよ。
――失敗しないと帰っちゃいけない――
そんなプライド壊しちまえよ。
帰って来たら駄目だなんて誰も言わない。
寧ろ大歓迎。
俺だって、早く逢いたい。
季節は、春。
俺は花粉症、お前は帰郷。
目の前には揚羽蝶が一匹、遠くにはギターを背負った少女が一人、走っていた。