思い出-9
少し色あせた黒いパーカーを両手でしっかり握り、まじまじと見た。
土橋くん達と四人で海に行ったときに私に貸してくれたパーカー。
「……返すのすっかり忘れてたなあ」
私と大山くんが打ち解けるきっかけになった、忘れられない一日。
土橋くんと二人で離れた所から、沙織と大山くんの二人きりの様子を覗いたときは、罪悪感があったけど共犯者みたいで少し、いやかなりドキドキしていたっけ。
寒がる私に自分のパーカーを貸してくれたときは、パーカーのブカブカさがやはり男の子なんだとなぜか照れ臭くなって。
あの頃の自分は否定するだろうけど、きっとあの時から私は彼を好きになっていたと思う。
そんなキラキラした思い出と、気付かないほど小さく芽生え始めた淡い恋心が、きっとこのパーカーには詰まっている。
「土橋くん……」
私はあの日の出来事を懐かしみながら、そっとパーカーに顔をうずめた。
「……臭い」
お母さんの部屋のあの古臭いタンスに押し込まれていたのだろう、防虫剤の匂いがツンと鼻について、思わず顔をしかめた。
「……全く、こんな臭くちゃ返せないじゃん」
ブツクサ文句を言いながら、お母さんの先程の浮世絵カットソー姿を思い出して無理矢理笑う。
「……返さなくちゃいけないのに」
なるべく余計なことは考えないように、無理に笑う。
無理矢理でも笑ってないと、押し寄せてくる自分でもよくわからない想いに潰されそうになるから。
なのに次々に頭の中に浮かんで来るのは、あの日沙織達を覗こうとしたいたずらっぽく笑う彼の顔や、パーカーを貸してくれた時の照れ臭そうな彼の顔ばかり。
笑っているつもりが、次第に鼻の奥がツーンと痛み、口元が歪んでくる。
気付けばパーカーの上には、点々と濡れたシミができていた。
次々とこぼれ落ちる涙を抑えるように、私は両方の目頭を親指と人差し指で挟むように押し当てた。
……これを返すと、土橋くんとの繋がりは本当に何も無くなっちゃうんだ。
返さなきゃいけないのに返したくない。
かけがえのない一日となったあの海での思い出も一緒に手放さなくちゃいけないような気になって、私は咄嗟にパーカーを掴んだ手に力を込めた。