不知火半袖の孤独な教室または人吉善吉の失われるであろう友情-2
「よお、待たせたな不知火」
いきなり後ろから声をかけられて、あたしはほとんど失いかけていた役の仮面を慌ててつけ直した。
振り向かなくてもわかる。人吉の声だ。
「待たせ過ぎだよ人吉! これはラーメンでも奢ってもらわないとねー」
あたしはいつもの調子で返す。腹にいつでも一物抱えた、とらえどころのないお調子者、そんな調子で。
「お前に奢るだけで俺は破産するっての」
「あひゃひゃ。つまんないなー」
「行こうぜ。とにかくうまいラーメン屋なんだ」
言いながら彼は踵を返して廊下のほうを向く。あたしもそれに続いて歩き始めた。
「……人吉」
「ん?」
「今日は、お嬢様や安心院さんは?」
「めだかちゃんは相変わらず生徒会業務だ。なんかオリエンテーションの参考意見をマイナス13組に聞きにいくとか言ってたな。安心院さんの特訓も今日の分は終わったところだ」
「そっか」
「それが、どうかしたのか?」
「別にー」
表情を窺われないよう軽く俯いて、口元だけはへらへらと笑いながら、あたしは思った。
駄目だ。
やっぱり駄目だ。
人吉といると、人吉の声を聞くと、抑えていた気持ちがどうしようもなく漏れだしてくる。
──嫌だ、勝ちたい。
勝てない男が先輩にいる。クラスメイトも勝ちのない者の集まりだ。価値のない負越(マイナス)達。あたしも違うことなくその一人。それでもあたしは、勝ちたい。
お嬢様に──めだかちゃんに勝ちたいわけじゃない。人吉に愛して貰いたいわけじゃないんだ。ただ、宿命に勝ちたい。不知火として負った宿命に──。
「なあ、人吉……」
──それをいま、あたしのこの気持ちをいまぶつけたら、あたしの宿命を、不知火の闇を含めて全てぶつけたら──人吉は受け止めてくれるだろうか。
助けてくれるだろうか。
「なんだよ」
「……」
そんな一瞬抱いた夢を、あたしはすぐに破壊する。
無理に決まっている。シミュレーデッド・リアリティに起因する主人公補正とやらを排除するまでもなく、あいつの前では全ては破壊され、不可逆の残骸と成り果てるだけだ。人吉があたしに向けてくれる友情すらも例外でなく。
「不知火?」
「……なんでもねーよー。あひゃひゃひゃ!」
「? 変な奴だな、相変わらず」
人吉。お前が大好きだ。ずっと友達でいて欲しい。
言えずに終わる言葉をあたしはあたしの奥深くまで飲み込んで、一年一組の教室を後にした。