21 建国祭の準備-4
一日ずつ、目の回るような忙しさが増していく。
人間のみならず、飛竜たちもそれは同じだった。
王都の警備から、荷運びは勿論、旅行客を相手に愛想を振りまく事もある。
バンツァーも巨体を生かして重い荷をせっせと運ぶ。
おまけに最年長であるから、忙しさに苛立った飛竜たちがケンカをしだせば、仲裁したり……用事は山積みだ。
屋台用の資材を運びながら、垂れ幕や旗で飾られた町並みを慎重に歩く。
観光客はバンツァーを見上げ、指を指してその大きさに驚愕の声をあげる。
バンツァーが初めて建国祭に参加したのは百年以上昔で、今では変わってしまった部分も多い。
それでも毎年、この忙しくも楽しい準備には心が浮き立つ。
――建国祭の前々夜。
月も高く昇ってから、バンツァーとベルンは、やっと厩舎に帰った。
干草の香りが心地よい厩舎では、十六頭の飛竜達が思い思いに翼を伸ばし、餌を食べたり休んだりしていた。
他の騎士たちはすでに自分の飛竜の世話を終え、宿舎に戻ったようだ。
「バンツァー、お疲れさん」
ベルンが桶いっぱいの果物を持って、労ってくれる。
「いよいよだなぁ」
傍らの柱にもたれたベルンは、常の彼らしくもなく、奥歯にモノが挟まったような口調で呟いた。
「明日の昼にはアレシュ王子も到着するだろう」
ベルンの言いたい事がわかり、鼻先でそっと突いてやる。
〔主、心配する気持ちは解るが……〕
正確な言葉のやりとりは無くとも、ベルンはバツが悪そうに肩をすくめた。
「そうだな、俺が首を突っ込むべきじゃない」
頷くいてみせると、三代目の主は、やっといつも通りの笑顔になった。
「あの時は悪かったな。ゼノまでつき合わせたりして」
〔構わんよ。久々に羽目を外した気分だった〕
確かに、飲まず喰わずで飛び続けた過酷な旅だったが、あの時ベルンが何もしないで黙っていられる男だったら、そもそもバンツァーの主にはなれなかっただろう。
一声鳴くと、ベルンはまた笑って、水と干草を確認してから宿舎に帰っていった。
ほどなく消灯の時間が訪れ、柱にかかった魔法灯火が消える。
心地よい暗闇の中、バンツァーも身体を丸め、目を閉じた。
――どれほど眠っただろう。
小さな泣き声が、バンツァーの目を覚ました。
〔ナハト……〕
声の主はやはり、ナハトだった。
くたびれきっていたナハトは、バンツァーが帰った時にはもう隣の干草で眠っていたが、悪夢にうなされたのだろう。
いつものように、首を伸ばして抱き寄せる。
寝惚け眼のナハトが、よろよろ這ってきた。
ナハトが里に来た最初の夜も、こうやってなだめた事を思い出した。
あれ以来、バンツァーが親がわりも同然になってしまった。
鼻先を軽く擦り合わせると、若い雌は幸せそうに目を細める。
〔ん、おじさま……あったかい……〕
バンツァーの腹に寄り添ってうずくまるナハトを、尾で包んでやると、すぐに穏やかな寝息が聞えた。
〔おじさま……あたし…………おじさまの卵……〕
眠りながらナハトがうとうと呟いた。
〔やれやれ……〕
ため息をつき、バンツァーはゆっくり首を振る。
ゼノで一度慰めたきり、ナハトが交尾をねだる事はなかった。
それでもあそこにいる間、ナハトは一日中バンツァーから離れなかったし、帰ってからも、前以上に甘えるようになった。
騎士団の仕事はきちんとするから、バンツァーも好きなようにさせていた。
だが最近、それは良くないのではと危惧する気持ちもある。
ナハトは数少ない雌の飛竜だ。もっと同年代の雄と交流しなければならない。バンツァーよりずっと後まで生きるのだから。
それこそ、殺されでもしない限り……。
不意に、ゾクリと寒気が背骨を走った。
死の翼は、必ずしも年齢順に奪っていくとは限らない。
里にはバンツァーより歳下の飛竜たちが眠る墓がいくつもある。
〔……俺も気が弱くなったものだ〕
縁起でもない考えを追い払うように翼を軽く一振りし、ナハトを包んで目を閉じる。
瞼の裏に、過保護だったとバツが悪そうに笑うベルンの顔が浮かんだ。
バンツァーを譲り受けた時は、彼も十歳そこそこの少年だったが、大きくなった。
祖父である二代目の主に、とてもよく似ている。
『バンツァー!お前の山車が出来たってよ!今年はな……』
建国祭の準備に没頭しずぎたせいだろうか。
二代目の主がはしゃぐ声を、妙にくっきり思い出した。
『バンツァー、緊張してるか?俺も心臓が壊れちまいそうだよ。今日からついに俺たち、竜騎士になるんだな』
初めて王城へ来た時、一番目の主が背中で語りかけた声も……。
(……アーロン……リクハルド……今年の祭りも、賑やかになりそうだ)
時おり、やりきれない思いに胸を突かれる時がある。
バンツァーはいつまでも忘れないのに。
飛んだ空も、戦った地も、この王都もちゃんとあるのに。
二人の主たちは、もうどこにもいないのだ。
彼らがいるのは、バンツァーの翼でも行けない場所で……もう決して帰っては来ない。