『SWING UP!!』第11話-36
3回の裏は、7番の浦からである。
「………」
同期生にして同僚の、吉川の“ガッツ”を目の当たりにした彼は、ひとつの決意を持って、この打席に臨んだ。
「!」
いつもの右打席ではなく、左打席に入ったのである。相手が左投手であるにも関わらず…。
(………)
その打席を見守る、一塁ベースコーチの若狭。彼は、浦がその“走力”を活かすために、“左打者”に転向した方がいいと考えており、その意を汲んだものか、左打者として、バッティングを一から鍛え直し始めた浦の頑張りを、陰で見ていた人物でもあった。
(お……)
左打席に入っただけではない。彼は、相手の9番打者・独楽送の構えを模写したかのような、バットを横に寝かせて、左のグリップを握らないスタイルのフォームを見せたのである。
大学に入るまで、野球経験の全くなかった浦は、その分、自分が良いと思ったものを進んで取り入れようとする、貪欲な素直さがあった。バント打法もその中で採用したひとつであったし、俄仕込みのこの“居合打法”も、“こういう構えもあるのか”と外野で見ながら、感心していたものだった。
(猿真似だって、思われてるだろうな)
だが、そんなことは意に介さない。前の試合で、死球を食らったことで腰が引けてしまった自分を情けなく思っていた浦は、それを挽回するために、自分の特性を活かすための手段を、必死に考え続けてきたのだ。
「ストライク!」
そんな自分を威嚇するように、内側の厳しいコースを隼人が突いてきた。しかもそれは、微妙なシュート回転で抉りこみ、浦の身体に近いところを通過していた。
「………」
だが、浦はそれに対して腰を引くことはせず、また、微動だにしないまま見送っていた。この“居合打法”は、身体を相手と正対させる“バント打法”よりも、球筋を追いやすいと浦は感じていた。
構えを解くこともなく、二球目を待つ。狙い球を絞るとか、ヤマを張るとか、そういう雑念は全て捨てて、浦はただ、投じられてくるボールに全ての意識を注いでいた。
「………」
マウンド上の隼人に、一瞬の間が生まれたのは、意外な“投げにくさ”を浦から感じ取ったからだろう。身内の構えを模写されていることも加わって、多少は冷静さを欠いているのも、あるのかもしれない。
その微細な意識が指先に伝わったのか、内角に投じたはずのストレートが、少しばかり真ん中に入ってきた。
「!」
浦は、真剣を鞘から抜き放つイメージで、右腕を一閃した。もちろん、“居合”の経験などないから、テレビで見ていた“時代劇”の侍たちの動きがその基本になっている。
むしろ、ここで重要になってくるのは、左打席に立ったことによって、バットのグリップエンドを持っているのが利き腕の“右手”になったことだった。
フォロースルーに繋がる、バットのヘッドの動きは、グリップエンドを握る手も重要な要素を持つ。特に、野球に慣れていない浦のような選手であれば、そのスイングが波を打ってしまう原因は、グリップエンドを握っている手の使い方に、難があるからだ。
それらはバットを振り込むことで解消され、身についていくものでもある。だから、経験値の差が大きく出てくる部分でもあった。
だが、左打席に立つことで浦は、利き腕を使ったバットコントロールができるようになった。体全体の動きの感覚は当然、右打席よりも違和感を感じていたが、右腕の捌き方が中心となるこの“居合打法”には、大きな影響を与えない。
居合の構えから、利き腕を使って繰り出されたバットの軌道は、波を打つことが多かったそれまでの浦のものとは大きく変わって、真ん中付近に投じられた隼人のストレートを、力強く叩いていた。
キンッ…
とはいえ、身体のしなりを伴わない、いわゆる“手打ち”であることには、変わりがない。弱い打球が弾き出されて、三遊間を点々とする。
「!」
浦は、“居合”で振り抜いたエネルギーの余勢を、そのまま走塁の第一歩に変えていた。これもまた、“左打席”に立ったことによる、恩恵のひとつだ。バットのスイングの回転力が、一塁線の方を向く左打席は、そのエネルギーを留めることなく、走塁に廻すことが出来る。単純な話、左打席のほうが一塁ベースにより近い。
弱い打球、そして、早くなった第一歩の踏み出し…。
トップスピードに乗った浦が、その快速を飛ばして、一気に一塁ベースを駆け抜けたとき、遊撃手の独楽送から送球されたボールは、一瞬遅れたタイミングで能面のファーストミットに収まっていた。
「セーフ!」
内野安打である。奇しくも、相手の9番と全く同じ構えから生み出した、全く同じ結果となった。
「ナイスだぞ、浦!」
一塁ベースコーチの若狭が、その健闘をたたえて、浦の右臀部を軽く叩く。
「ヨ、ヨシさん。ありがとう、ございます」
それを受けた浦が、嬉しげにはにかみながら、その顔を赤くしていた。