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祖母の葬儀に来たウタは、背後から私の肩を叩き、振り向いた私の顔を見ると「やっぱりちぃだ」と言って笑った。目尻には笑い皺が刻まれている。十年前にはなかったこの皺は、会わなかった年月を感じさせる。「久しぶりだね」とぎこちなく返して私はそそくさと部屋の隅に座ってお茶汲みを始めた。
ウタは、大広間の正面に座っている。喪服を着ているせいなのか、十年も見ていないせいなのか、とても痩せたように見える。最後に会ったのはウタが中学生の頃なのだから、三十五歳になった今、ウタはそれなりに老けた。だけどやっぱり憧れのウタである事に変わりはないようで、そこに彼が座っている事を意識すると、動悸のような胸の痛みに苛まれる。
椿の柄が入った茶碗に緑茶を注ぎ盆に載せ、ウタの座る席へと歩く。ウタが少し離れた所から私の顔を見ている事に気付いたけれど、それを意識すると私は顔を下に向けてしまって、その後もウタがずっと私を見ていたかどうかは分からない。
「運転おつかれさま」
ウタの目の前に茶碗を置くと、立ち上る湯気の下で薄緑が揺れる。
「兄貴が運転してきたんだ。車が停まりきらないって話だったからさ」
あぁ、と縁側の方へと目をやった。辺りは雪で覆われて、除雪されているのはアスファルトで舗装された道と民家の前だけ。車を止める場所を探すのにも一苦労な葬儀で、隣家の庭先にまで車を駐車させてもらっているらしい。私の母は事故で脚を悪くしたため、車でここまで来た。母の実家であるこの家で、父は肩身が狭そうにしていて、結局父は新幹線の駅からこの家までの送迎役を買って出た。今もどこかの道を走っているのだろう、辺りに見当たらない。
「ちぃは幾つになった?」
ウタの指で椀に描かれた椿の花弁が一枚、隠れた。
「今年で三十。ウタは三十五でしょ。五つ違いだもんね」
ウタは茶碗から口を離すと、少し苦笑いをして私の顔を見た。一瞬、湯気の向こうに昔のウタが見えた。
「この歳でウタって呼ばれるのも何だかな」
私も釣られて頬を緩め「お互い様だよ」と言って席を立つ。遅れてコウ兄が部屋に入ってきたので、片手を挙げて挨拶をした。
「千里、ちょっとぉ」
台所から母の声がしたので、私は「はいはい」と小さく返事をしながら台所へ向かった。氷を張ったように床が冷たく、ストッキングの上に靴下でも履いておくんだったと後悔する。廊下にスリッパがないか探したが、終ぞ見つからないまま母の元へ行った。母は椅子に座って煮物の番をしていた。
「悪いんだけど、お茶菓子がもう何もないみたいなんだ」
「買い出し?」
私の言葉に母は申し訳なさそうに頷く。右足が殆ど動かない母は杖がなくては歩けないし、そもそもこんなに雪が積もっていては、母に買い出しなんて任せられない。
「誰かの車、空いてるの?」
ハンドルを握る仕草をする私に、母は首を横に振る。
「それが今、全部出払っててさ」
皆が自重して新幹線で来ているから、今日は車の台数が少ない。しかしこの集落には、なぜか小さな花屋が一軒あるだけで、スーパーも、コンビニすらもない。三つとなりの集落まで行く事になるが、現状歩いて行く外ない。
「兄ちゃんは?」
「煙草吸いに出て見当たらなくって」
母は二本の指を口元に持って行く仕草をし、顔をしかめる。私はそれを見て小さく舌打ちをしたあとに、しまったと思って慌てて口を閉ざした。悪い癖だ。
「おばさん、俺も行こうか?」
引き戸に架けられた暖簾をくぐって顔を出したのは、ウタだった。
「買い出しでしょ? ちぃ一人じゃ大変でしょ」
私は意味もなくあたふたして、ウタと母の顔を交互に見比べながら何も言えないでいた。母は菜箸を置くと、タオルで一度手を拭った。
「助かる、小さい子達の飲み物も買って来ないといけないから、じゃぁウタ君も一緒に行ってくれる?」
ウタは母からメモ用紙を受け取り「ちぃ、上着は?」と私の顔を覗き込む。ひゅっと喉の奥に冷たい空気が突き刺さるような息をして、それを跳ね返すように「持ってくる」と声を飛ばした。