鳥籠-1
あたしは飼われている。
この小さな、マンションという名の鳥籠の中に。
ずっと閉じ込められていて、外を自由に飛ぶことは許されていない鳥。それがあたし。
でもぜんぜん構わないの。
飼い主さんはいつもあたしを可愛がってくれるから。
横たわったまま瞼を持ち上げて目をこすると、吟ちゃんはもうベッドにいなかった。
なんだか甘くていい匂いがする。朝ご飯を作っているのだろう。
「吟ちゃん」
名前を呟き、あたしは起き上がった。
赤いスリップドレスのままゆらゆらとキッチンへ行く。
「起きた?今、鶫の好きなフレンチトースト作ったから」
グレーのジャケットに黒いジーンズといった都会的な出で立ちの吟ちゃんが、あたしに気付いて笑顔で言った。
彼はあたしのことを「鶫(つぐみ)」って呼ぶ。
本名じゃない。彼がつけてくれた名前だ。
鶫というのは秋にやって来る小さな渡り鳥の名前だと吟ちゃんが言っていた。
あたしを拾ったのも同じく秋だったし、女の子の名前っぽくて可愛いからちょうどいいと思ったんだ、と。
あたしは急にお腹が空いたのを覚えて、いただきます、と言って食べ始めた。
隣りに座ってあたしを見つめている人があたしの飼い主さんの芦原吟史(あしはらぎんじ)。大学生だ。確か理数系の学部だと言っていた。
彼は、優しくて物腰の柔らかい人で、いかにも賢そうな整った顔をしている。
あたしは16歳で、高校は前は通っていたけれど、色々あって辞めた。
今はこの人に養われ、この人の為に生きている様なものだ。どこへも行かずに、鳥籠の中に暮らす鳥の様にこの部屋でのみ日々を過ごしていた。
それはあたしにとってすごく幸せなこと。
「おいしい?」
吟ちゃんが尋ねた。あたしの大好きな優しい笑顔を浮かべながら。
「うん!」
あたしもつられて笑顔になりながら言った。
「よかった」
吟ちゃんがあたしの髪を撫でて、櫛でとかし始めた。
あたしがご飯を食べてるとき、彼はいつもこうした。
慈しむ様な目であたしを見ている。
大学なんて行かなきゃいいのに。それでこうやってずっとあたしを愛でてくれたらいいのに。
いつもあたしはそう思わずにいられない。
「今日は何時に帰って来るの?」
あたしが訊いた。
「4時頃かな。それまでちゃんとお留守番しとくんだよ」
「はぁい」
ご飯を食べ終わって、大学に行く吟ちゃんを見送る。
彼は出がけに、いつもあたしの口にキスしていく。
「行って来るね」
と言い残して。
帰って来た時にも、
「ただいま」
と言ってしてくれる。
犬や猫の子にするみたいな、軽いキスを。
あたしはそれが好きだけど、いつも物足りないって思う。
本当はもっと、激しくて全身痺れてしまう様な口づけがしたい。
だってあたしは吟ちゃんが大好きだから。
男の人として愛してるから。
だけど、あたしは吟ちゃんと濃厚なキスはもちろん、エッチしたこともない。
もう半年も一緒に暮らしてるのに、しかもその間ずっと一緒に寝てるのに、ない。
たまにあたしがしたいと言っても、「だめだよ、鶫」と、軽くあしらわれてしまうのだ。
以前あたしの周りにいた男は女と見れば体を求めるやつばかりだったから、男は皆そうなのであって、吟ちゃんも例外じゃないと思っていた。
だけど吟ちゃんは、ホモなのかなとか、性交不可な体なのかなとか心配してしまうほど、ストイックだった。