真紅の螺旋〜the crimson helix〜『歪曲夢想』-1
スピーカーからチャイムが流れ、今日の授業の終わりを告げた。
「最近は何かと物騒だから、気を付けて下校するように。以上、解散」
担任教師が簡単に連絡事項を告げ、簡単にホームルームを終える。
教室内が一気に騒がしくなった。
部活へと急ぐ者、友達と連れ立ち繁華街へと繰り出す者、自習をしようと机の上に教科書を広げる者。そんなクラスメイト達の動作を、一人の少女はぼんやりとした表情で見ていた。
整った顔の輪郭に、強い意志を宿す切れ長の瞳。百七十に近い長身にバランスのとれた肢体。肩口で適当に切られた黒髪がその少女にはよく似合っている。
間違いなく美少女に分類される。しかし彼女の凛とした表情と、身に纏うナイフのように鋭い雰囲気のおかげで、彼女の周りには女子生徒はおろか男子生徒までもいなかった。
「愛加、一緒に帰ろうよ」
そんな彼女に唯一話し掛ける人物がいた。愛加と呼ばれた少女はゆっくりと声の主に視線を向ける。閑夜愛加(しずやまなか)。それが彼女の名前だ。
「……絢」
絢と呼ばれた少女が愛加の肩を軽く叩いた。フルネームは燕条絢(えんじょうあや)。背中まで伸ばした漆黒の髪と人懐っこい印象を与える大きな瞳。小柄だが発育が良く、明るい性格の持ち主の彼女は、クラスでも男女関係なく人気があった。
「ほらほら、帰ろ」
「わかったわよ」
「そんなに不機嫌だと友達できないよ」
「余計なお世話よ。それに、今は不機嫌じゃない」
「うん。わかってる。あ、それとね、琴葉さんが愛加に用があるって」
だから帰ろ、と絢は付け加え、愛加の手を取った。
「それでは帰宅!!」
愛加の手を握ったまま、絢は走り出す。当然、愛加も走り出す。
空には今にも沈みそうな太陽だけがあった。
〜
最近建てられた高級マンション。海に面し景色は抜群だが、交通の便が悪く値段も高いということで、普段からあまり人気がないこの場所が、今は異界と化していた。
赤。赤。赤。
壁は真っ赤なペンキがぶち撒けられ、通路には大小様々な塊が整理もされず置いてある。重い、粘り付くような赤い臭い。そこには『死』だけが存在した。
その死の世界に一人佇む男がいた。年齢は三十半ば。彫りが深く精悍な顔は、しかし、なんの表情も映していない。
男の服は赤一色だった。赤いズボンに赤いシャツ。コートからは今染め上げたばかりのように、赤い液体が滴っている。
「あ、あぁ……」
男の前には小さな少女がいた。小学生だろう。真っ赤なランドセルを背負っている。本来なら笑顔が似合うその顔は、虚ろ。視線は宙をさまよっている。
「……お母さん……」
少女の蚊の鳴くような声に、返事をする者はいない。答えるべき人は先程、死んだ。
「お母さん……」
再びの少女の呟きにも、男は何の反応も示さない。否、その少女を抱きかかえた。
袖の隙間から見える時計の柄は、子供向けのヒーローアニメ。
その動作に驚き、少女は男を見た。男は相変わらずの無表情で、
少女の頭を壁に叩きつけた。
ぐしゃり、と腐った果物を押し潰したような音が廊下に響く。
男はそこでようやく自分の道を振り返った。
真っ赤な空間。赤で彩られた空間に、人間の死体が散らばっている。どの死体も原型を留めてはいなかった。
男はすぐ隣りにあるエレベーターに乗った。階を示すランプが上がって行く。
エレベーターの扉が閉まる瞬間、確かに男の顔には笑みが浮かんでいた。
空にあった太陽は、もう沈んでいた。