第6話-9
きっ、と非難するような目を向け、ほんの少しの抵抗心から、喘ぎ声を出さないように口を真一文字に結ぶ。
彼女を抱いている時の表情と声は、直接与えられる快楽と同等、もしくはそれ以上に魅力的で、彼の愛欲を刺激してくる。
その2つの要素が失われてしまうと、さすがに面白くない。
「…ごめん、ごめん。そんな睨むなって」
圭輔は一度動きを止めると、微苦笑を浮かべて、英里の頭を優しく撫でる。
英里は、目の前の男性は、本当に意地悪な人だと感じながらも、その行為1つであっさり懐柔されてしまう。
そんな彼を憎らしいのと同時に愛しくも思えてしまう、単純な自分自身がまた厄介だ。
「今日は、どれだけ大きな声出しても聞こえないんだから、もっといっぱい声、聞かせてよ」
圭輔の何気ない一言に、英里はふと、こんな事を思い出した。
初めて彼の部屋へ行った時に聞こえた、隣の部屋に住んでいるという新婚夫婦の情事の様子。
艶めいた声が、微かだが、はっきりと聞こえた。
自分の時は、特に意識していなかったが、まさか…。
圭輔が否定してくれる事を一心に願いながら、英里は恐る恐る、尋ねる。
「あの、もしかして、いつも私の声って、周りに住んでる人に聞こえてたりなんか…」
「…たぶん、聞こえてるだろうな。ご存知の通り、ウチのアパートぼろくて壁薄いから」
彼女の願いも虚しく、圭輔は何の躊躇もなく、そう答えた。
彼の回答を耳にした瞬間、英里は全身の血が一気に凍りつくかのような感覚に襲われる。
何故、今まで気付かなかったのだろう。隣の声が聞こえるという事は、こちらの声も向こうに筒抜けになっているのは当たり前ではないか。
英里は、迂闊すぎる自分を責めたが、今更遅い。幸い、彼の部屋の隣人と一度も顔を合わせた事はなかったが、どれだけ破廉恥なのだろうか。
それを認識した途端、今度は羞恥で顔面から火が吹き出そうな程熱くなる。
そんな重大な事を何でもないかのように、しれっと答える圭輔の神経が英里には信じられない。
過ぎた事はもうどうしようもない。自然と、やり場のない怒りの矛先は彼へと向かう事になる。
「英里?」
心なしか、彼女の体が小刻みに震えているような気がして、圭輔は顔を寄せて声を掛ける。
英里は、そんな彼の体を両手で押し退ける。
「っ、どうしたんだよ」
「ひどい!何で今まで何も言ってくれないの!?」
気付いていたなら、どうして一言注意してくれなかったのだろう。
顔を真っ赤にしたまま、目の端に涙を溜めて、彼を睨みつける。
「…別に、いいだろ」
実際、彼は特に気にしていなかった。
行為の最中で昂ぶった気分をコントロールなどできない。
それに、普段は聞かされてばかりの身なのだから、たまには自分の可愛い彼女の存在を知らしめてやりたいといった思いさえあった。
「良くない…っ!恥ずかしいよ…」
すっかり錯乱状態に陥ってしまった彼女は、ついには両手で顔を覆ってしくしくと泣き出し始めた。
そこまで号泣されると、圭輔もすっかり参ってしまう。
まだ、自分の熱く滾った欲望は、彼女の中に収まったままで、解放される時を待ち詫びているというのに。
気分が萎えてしまう前に何とか彼女の機嫌を直さなければ。
(…しゃーねぇなぁ)
圭輔は困ったように頭を掻きながら、溜息を1つ吐くと、
「じゃあさ、これからは隣に聞こえないように、今から声出さない練習しようか」
「?」
英里は手を外して、泣いてしまったせいで赤くなった瞳を圭輔に向ける。
「そうだな…これから俺の指咥えたまま、絶対離すな」
そう言って彼女の涙を軽く拭った後、顔の前に左手の指を2本差し出す。
「…簡単だろ。どう?」
圭輔は、にっ、と微笑むと、その差し出した指で彼女の唇の輪郭を、挑発するかのようにゆっくりとなぞる。
しばらく考えた後、英里は無言で頷く。躊躇いがちにおずおずと口を開いた。
初めてのシチュエーションに、圭輔もだんだんと心躍らせながら、苦しくないよう彼女の口内に第2関節あたりまで指を差し込み、
「いいか?声、出そうになったら俺の指思いっきり吸って我慢して」
こくんと、また無言で……今は声が出せない英里が頷く。
圭輔も満足気に頷くと、再び腰を動かし始める。
「ぁっ…!」
突然の刺激に、英里は早速薄く口を開いて声を上げてしまうと、
「声、出さないんだよな?」
圭輔は意地悪くそう言いながら、彼女の中の指を軽く動かして、くすぐるように舌を撫でる。
そうだった、と英里はもう一度きゅっと唇を窄めて彼の指を挟む。
…そのまま、行為は再開される。
容易いと思っていたそれが、案外困難な事だと、すぐに英里は気付いた。
彼が一突きする度に、思わず声を上げそうになるのを、何とか喉の奥に押し留め、代わりに乳飲み子のように強く彼の指を吸った。
緩急を付けた彼の腰使いに翻弄され、頭がおかしくなりそうだ。
そして、時折施される舌への愛撫もまた、彼女の頭と体を狂わせる。
ただ、声を出さないでいると、その分圭輔の声が英里の耳によく聞こえる。
薄く開かれた唇から漏れる、喉の奥から絞り出すような切なく掠れた声はとても色っぽくて、英里はそれだけで胸が熱くなるのを感じた。
いつも、自分の声で聞こえなくなっているのが勿体無いくらいだ。
静かな部屋の中で、何かがぶつかるような音と、淫らな水音、そして微かな喘ぎ声が響く。
恍惚とした表情で、自分の顔を見上げている英里に気付き、圭輔は快楽で眉根を寄せたまま、淡く口角を上げて微笑んでみせる。
その表情に魅せられて、英里は全身が痺れるような感覚に襲われた。
そして、その瞬間、彼女の中が一段と締まり、圭輔の口からまた喘ぎ声が漏れる。
柔らかな襞が、絞りつくすかのように、彼の怒張にきつく絡まってくる。