狙われたマヤ-3
そこに顔を突っ込んで、社長が金を確認している。
隙間から、ぎっちりと詰め込まれた札束が見えた。
「盗られてはいないようだが……」
「よかった! でも、これから部長は、どんな手を使ってくるかわかりません……わたし、社長のためなら何だって協力します……」
「おまえ……」
社長が、目尻をだらりと下げて振り返る。
その直前、素早く錠剤を口に放り込み、舌の裏に隠した。
ワインをもう一度口に含む。
醜悪な体に抱きつきながら、深いキス。
錠剤とワインを、社長の喉の奥深くまで流し込む。
「好きです……」
「本気で、俺のことを……? ……なんだ、酔いがまわってきたか……?」
社長の目が焦点を失う。
首が力無く、カクンとマヤに寄りかかる。
すっと体を引くと、社長は床の上に倒れたまま、ぐったりと動かなくなった。
とうとう、やってしまった……。
もう、後戻りはできない。
わずかに体内に残された媚薬のせいか、異常な事態に対する興奮のためか、呼吸をするのも苦しくて堪らない。
落ち着かなきゃ。
胸を押さえる。
頭の中で、何度もなぞった計画を思い出す。
汚れた下着とストッキングを拾い上げ、丸めてバッグにしまう。
普段から教材をいれるために持ち歩いているビニール製の袋に、入るだけ札束を詰めた。
スーツの乱れと髪を整え、素足にハイヒールを履く。
携帯電話を取り出し、部長の番号を押す。
ワンコールで相手が出た。
「……わたしです」
「なんだ、もう暗証番号を手に入れたのか?」
「違うんです、社長が凄い勢いで怒っていて……部長を呼べって騒いでいるんです」
なに? と部長の声に苛立ちの色が混じる。
「……水上、おまえ、余計なことをしゃべったんじゃないだろうな」
「そんなこと、できるわけないじゃないですか……あんなことをされて……。何か、取引先での手違いがどうとか……」
「手違いなあ……誰か発注ミスでもやらかしたのか。まあいい、とりあえずすぐに向かう。いまはまだ、社長を敵に回したくないからな」
ちゃんと暗証番号は手に入れろよ、と念を押す声の後、通話は切れた。
あとは、逃げるだけ。
はやく。
廊下に人がいないことを確かめ、マヤは滑るように階段を駆け下りて、本社ビルを出た。
玄関ホールを出てすぐのところにある公園の木陰で、再び携帯電話を手にする。
近くに待機しているはずの、久保田を呼び出すために。
太陽は西に傾き、あたりをオレンジ色に染めている。
会社帰りのカップルなのか、スーツ姿の男女が手を繋いで楽しげに談笑しているのが目に入った。
久保田と出掛けた、あの日の場面が重なる。
指が、震えた。
ボタンが押せない。
計画を実行させれば、確実に久保田は罪を問われるだろう。
将来をまるごと潰してしまうことになる。
額から汗が噴き出る。
迷っている時間など無いのに。
どう頑張っても、指先は凍りついたように動かない。