10 二匹の飛竜(人外性描写)-1
アレシュの城は南方の地にある。
年間を通して暖かいらしいが、初夏は特に早い時間から陽が昇り、気温もぐんぐん高まっていく。
朝日が芝を照らす中、カティヤは約束どおりベルンにしごかれていた。
「腕も落ちていないようだし、休憩だ。カティヤ」
汗を拭き、ようやくベルンが槍を降ろす。
「ここの兵達に、訓練を付き合ってもらっているからな」
カティヤも額の汗を拭った。鍛錬用の薄いシャツは汗だくになっている。
胸は布をきつくまいて固定しているため、特に蒸れて気持ち悪い。
里帰りの最中だったから、多少の着替は持っているのが幸いだった。
視線を横に向けると、厩舎の前でナハトとバンツァーが仲良く餌を食べている光景が映る。
バンツァーが厩舎に入りきれないので、野菜や果物を満載した荷馬車が四台、中庭に置かれていた。
「やはり、同じだなぁ……」
二匹に近づき、カティヤはつくづく飛竜たちの瞳を眺めた。
隣りに来たベルンが首をかしげる。
「何が同じなんだ?」
「眼の中にある模様が、アレシュ王子の魔眼とそっくりなのだ」
ナハト(夜)の名に相応しい黒曜石の瞳にも、バンツァーの褐色の瞳にも、瞳孔の周り魔眼と似た模様が浮かんでいる。
地の色よりやや薄い色だから、近づいてよくよく見なければ気付かないだろう。
「ふぅむ。しかし、それがどうかしたのか?」
「いや……ただ、そう思っただけだ」
昨夜の奇妙な夢が、瞼の裏にまだこびりついている。
黒い竜のような少年。牢獄のような部屋。
ただの夢にしては、強烈すぎるほどリアルだった。
それに……初めてアレシュ王子の部屋を見た時、驚き以上に奇妙な既視感を覚えたのを思い出す。
ーーあの黒い竜は、アレシュだ。
根拠もないのに、そんな確信が頭から離れない。
だが、あの幼女がカティヤだというなら、なぜ今のような状態になってしまったのだろう?
あいかわらず、昔の事は何も思い出せない。
アレシュにそれとなく探りを入れたかったが、アレシュとエリアスは何か急用が出来たらしい。
朝食もそこそこに、大忙しな様子で出かけてしまった。
「……」
ベルンに夢の事を話すべきか迷いながら、ぼんやりと飛竜たちを眺める。
バンツァーが口にくわえた柔らかいキャベツを、ナハトの口の中に放り込んでやっていた。
ナハトは嬉しそうに野菜を噛み、甘えるようにバンツァーに鼻先をすり寄せる。
首を巻きつかせ、身体全体で同族に親愛を示している様子に、カティヤも目を細めた。
「バンツァーが来てくれて良かった。すっかり元気になったな」
「きるるる!」
じゃれつくナハトを好きにさせながら、バンツァーは黙々と荷馬車を空にしていく。
ベルンともども、ここに来るまでろくに食事を取っていなかったそうだ。
それでも美味しい部分があるとせっせとナハトにやる辺りが、いかにもこの飛竜らしい。
「きる?きるる?」
「がふっ!?」
急に食べたからか、そうガツガツもしていなかったのに、バンツァーは派手にむせ込んだ。
上機嫌のナハトが首を伸ばし、顎で背をなでている。
荷馬車四台を空にし、ようやくバンツァーは満足したらしい。
頭と前足を使い、行儀よく空の荷台を脇によけた。
バンツァーは百六十歳の雄。人間なら中年を過ぎたくらいだろう。
いくつもの死線を潜り抜けた猛者で、暗緑色の身体には、ところどころに白い傷模様がある。
先代の長が乗っていた飛竜で、先代の死後、孫である兄に譲り渡された。
飛竜が新しいパートナーを認めるのは、それまでのパートナーが死んだ場合だけだ。
「きる!」
ナハトはよほど嬉しいのだろう。
バンツァーにまとわりついたまま、しきりに身体をこすり付けている。
「……ん?おいおい」
ナハトのじゃれつきかたが激しくなっていくのに気付き、カティヤは眉を潜めた。
春から初夏が飛竜の発情期。
季節からいえば、まだ期間の範囲内だ。
しかし、ナハトはまだ交尾には若すぎる。
だからこそ、今回の休暇は適齢期の飛竜を持つ者が優先されて里に帰り、カティヤは一番後だった。
「ナハト、それくらいにしておけ」
ベルンがたしなめてもナハトは離れず、さらに激しくバンツァーに身体を摺り寄せる。ホームシックの所へ、久しぶりに同族に会えた反動だろうか。
尻尾をバンツァーに巻きつけ、完全に発情しているらしい。
「ぎる……」
バンツァーが低く唸り、そっとベルンに目配せした。
「仕方ないな。バンツァーに任せよう。無理はさせないさ」
ベルンが槍を持ちあげ、中庭の門へ顎をしゃくる。
こうなるともう、人間の手には負えない。飛竜同士でかたをつけてもらうしかない。
「ああ、私も覗き見趣味はない」
カティヤも肩をすくめ、歩きだす。
「それより、早く汗を流したいな」
ベルンに不自然に思われないよう、できるだけ早足で庭を出ていった。