5 種の分岐点-3
紺碧をしたエリアスの瞳が、興味深いものを見るように、カティヤを眺めた。
「貴女について、わたくしはアレシュさまから想い出話を聞いただけですが……」
「エリアス、喋りすぎだ」
不意に、アレシュの声が響いた。パチリと開いた魔眼が、補佐役の青年を睨んでいる。
「おはようございます。アレシュさま」
まるで悪びれずにエリアスは挨拶し、カティヤは慌てて手を引いた。
少し残念そうにそれを眺め、アレシュは半身を起こした。
「エリアス、被害地区の復旧は進んでいるか?」
「はい。あれだけの数に襲われたのに、死者や怪我人も驚くほど少数でした。修復も早く済みそうです」
「そうか、カティヤのおかげだな」
アレシュに、もう一度手を握られた。
「ストシェーダ王子として、改めて礼を言う。竜姫殿」
突然見せられた王族の顔に、心臓が跳ね上がる。
「は、はい……」
「竜騎士一人で百騎に相当するという話は、誇張でなかったな」
「……ナハトがいてくれてこそです」
剣の修練も積んでいるが、ナハト無しではカティヤもただの剣士だ。
「はいはい。その辺りにして、次にうつっても宜しいでしょうか?」
書類で手をポンポン叩きながら、エリアスが容赦なく割って入った。
「エリアス、空気を読め。せっかく良い所だったのに」
顔をしかめる主に、補佐役は冷たい視線で返した。
「アレシュさま。ご自分の軽率な振る舞いを、どう責任とるおつもりですか?」
「俺が何をしたって?」
「竜姫殿の拉致でしょう」
「あ」
ポカンと口を開けるアレシュを、更に冷酷な視線が指す。
「ご都合の悪い事は、すぐそうやって忘れてしまいなさる」
「いや、その……色々あって忙しかったから……」
しどろもどろで言い訳するアレシュは、親に叱られている子どものようだ。
「……そうだ、私は帰らなくては」
カティヤでさえも、リザードマンの襲撃やアレシュの意外な素顔に混乱していたが、そもそもここにいるのが間違いだ。
娘の帰省を楽しみにしている義父母も、いまだに着かない事を心配しているだろう。
「駄目だ!!」
叫び声とともに、爪が食い込みそうなほど手首を握られた。
「っ!」
魔眼に、再び凶暴な光りが宿っていく。
「アレシュさま、落ち着いてください」
静かな声で、エリアスが諭した。
「は……はぁ……っ……」
荒い息を突きながら、ようやくアレシュが手を離す。
「アレシュ王子……なぜそこまで私に固執なさるのか、教えてくれませんか?」
たまりかね、尋ねてみた。
「……カティヤが自分で思い出すまで、絶対に言わない」
拗ねた顔で、アレシュは横を向く。
「エリアス、お前も言うなよ」
「はい」
厳しそうなのに、こんな我がままには従順なエリアスにも、呆れてしまった。
「子どもじみた強情を張らないでください!エリアスさままで……」
「カティヤさま、お怒りはもっともです。申し訳ございません」
エリアスが、深々と頭を下げる。
「しかし、我が主のために、もうしばらく滞在して頂けませんでしょうか?」
「で、ですが……私には騎士団の仕事が……」
「竜騎士団の隊長殿へは、すでに緊急伝令を飛ばしました」
「な!?」
「諸事情から、カティヤさまに危機を救って頂いたお礼に、客人としてしばらく逗留して頂く旨を、記しております」
「……」
――信じられない。
すました微笑を浮べているエリアスは、トラブルを利用して主の不始末をもみ消した上、カティヤを引き止める口実まで作ってしまったのだ。
「カティヤ……一ヶ月、猶予をくれないか?」
何か考え込んでいたアレシュが、口を開いた。
「一ヶ月経っても思い出せなかったら、教える。そうしたら、ずっとここに居てくれ」
「もし、何か思い出せたら?」
念のため、尋ねてみた。
「それなら、君は自分から俺の傍にいてくれるはずだ」
「……どちらにしても、同じ結果ではありませんか」
傍らではエリアスが腹を抱え、プルプル口元を震わせている。
「……お、お二人とも、それではこういたしませんか?」
ようやく笑いを飲み込んだエリアスが、割って入った。
「一ヵ月経っても、カティヤさまが何も思い出せなかったら、アレシュさまは素直に話し、カティヤさまが、ご自分でどうするか決めるというのは?」
「……はい、私はそれで結構です」
どう考えてもアレシュの言い分よりはまともだ。
「アレシュさま?」
拗ねた顔でそっぽを向いている主に、エリアスが声をかける。
「あー、わかったわかった。それでいい」
魔眼王子は、仕方無さそうに手を振って答えた。
「ともかく、カティヤは一ヶ月間、ここにいるわけだしな。……その間に、惚れさせてみせるさ」