5 種の分岐点-2
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ベッドでは、疲労困憊のアレシュが眠っている。
塩の道での攻防から、一昼夜が経過していた。
苦戦の末、カティヤがリザードマンのボスを倒すのと、後発軍が着いたのは、ほど同時だった。
近くの森に逃げ込もうとしたリザードマンたちを、アレシュは全軍を使い、見事に一網打尽にした。
数匹は逃げてしまったが、脅威になるほど群れる心配は、しばらくないだろう。
それより、一刻を争う重傷者が多く、アレシュは魔力を酷使し、何度か都市と旅籠を往復した。
その後、復旧作業の指示を出し終わった所で、ついに倒れてしまったのだ。
「カティヤさまも、まだお疲れではありませんか?」
付き添っているカティヤに、様子を見に来たエリアスが、気遣わしげな声をかけた。
「いえ、大丈夫です」
休息は取ったし、傍で座っているだけだ。
それに、カティヤの手をしっかり握りしめたまま眠っている魔眼王子を、起こしたくなかった。
先ほど、一人の侍女から、アレシュの傍にいてやってくれと頼まれたのだ。
カティヤを呼びながら、酷くうなされているのだという。
案内された寝室に入り、一瞬ギクリとした。
広い部屋にあるものは、簡易的な組み立てベッドと、岩塩のランプがいくつかだけ。
壁や床はむきだしの玄武石で、小さな窓には厳重な鉄格子がはまっている。
熱で溶け出したランプの岩塩が、空気にほのかな心地よさを与えているが、これではまるで牢獄だ。
カティヤのいた客間や他の部屋は、どれも大国ストシェーダに相応しい気品を備えているのに……。
ベッドで半身を起こしていたアレシュは、恐ろしいほど魔眼をぎらつかせていた。
『アレシュ王子……』
思わず身構えそうになったが、カティヤをみとめると、見る見るうちに魔眼から凶暴な光が消えていく。
『ああ、良かった……いたのか……』
崩れるように敷布へ倒れながら、アレシュが小さく呟いた。
額に大粒の汗がいくつも浮かんでいる。
近づくと、すがりつくように手を握られた。
『カティヤ……いかないでくれ……』
その訴えは、すでに眠りながら放たれていた。
振りほどく気にもなれず、どうしたものかと思っているうち、侍女が椅子を持ってきてくれ、そのままここにいる。
「エリアスさま、お尋ねしても宜しいですか?」
アレシュを起こさぬよう、小声で囁いた。
「わたくしが答えられる事でしたら、なんなりと」
整った顔に、エリアスはどこかつかみ所のない笑みを浮べる。
「その……どうして……」
「ああ、この部屋のことですか」
牢獄同然の室内を見渡し、言葉を捜しているカティヤに、エリアスはクスリと笑う。
「さて、どうしましょうか」
「え?」
「失礼ながら、貴女はジェラッドの騎士であられます。我が主の秘密を漏らすのは、どうしたものかと」
「あ!」
カティヤの頬が赤く染まる。
「し、失礼しました……好奇心から出すぎた質問を……」
狼狽するカティヤに対し、エリアスは笑いを噛み殺しきれなくなったらしい。
「くっく……いえ。こちらこそ失礼いたしました。別に話してもかまわないのですが、貴女のお人柄に興味があったのです」
「私の……ですか?」
「竜姫の武勲は有名ですが、カティヤさま個人につきましては、あまり知られておりませんので」
「はぁ……」
「この部屋は、アレシュさまが魔眼で暴れ出しても、抑えるためですよ。石をよく見てください」
「……?」
よく見ると、うろこ状にぎっちり並んだ多角形の石には、一つ一つに細かな魔法文字が刻まれていた。
「魔眼は常に大量の魔力を生み出し続けるので、うまく放出しきれないと、大変危険な状態になってしまいます」
「危険?」
「室内にドラゴンを飼うようなものですね」
「そんなに……」
「魔力の過剰暴走は、そうとう苦しいそうですよ。使いすぎで倒れる方が、まだマシだとおっしゃっております」
さらりと言ってのけたエリアスを、まじまじ見つめてしまった。
整いすぎるほど整った中性的な美貌は、絵画の美神を思わせる。
しかも、理想と慈愛だけではなく、醜い部分も全て知り、飄々と周囲の行く先を眺めている冷酷な面を備えた……。
「もっとも、この地はリザードマンを始め魔獣も多く、アレシュさまも魔力を思う存分酷使できるので、必要のない日もありますが」
「で、でしたら、人に分けたり、移動魔法などで魔力を使ってしまえば……」
実際、カティヤもあの戦いの前に、動けるようにと魔力を返してもらった。
それに、あれほど大人数を運べる移動魔法があれば、危険の多い地を通る者を多く救える。
だが、エリアスは首を振った。
「それが魔眼の忌まわしい点でしょうね。目の前に無数の死を伴わなければ、暴走する魔力は消費できません。平和的に使っただけでは、暴走時間をかえって長引かせるだけです」
「つまり……移動魔法で兵を送り、結果的にリザードマンを多数殺して静まっているという事ですか?」
「はい。物騒な眼でしょう?恐ろしくなりましたか?」
「……」
すぐ、返答が出来なかった。
無数の血を見なければ静まらない凶暴など、確かに物騒だ。
しかしそれは、アレシュのせいではないし、むしろ一番苦しんでいるのは彼だろう。
「私は……」
可哀想に、など同情しても、状況は変わらない。
「こちらに来てまだ少しですが、王子は城の方々にとても好かれているように見えます。魔眼の有無よりも、それこそ王族に必要な資質なのでは?」