4 塩の道-1
4 塩の道
とにかくナハトに会わせてくれと頼むと、アレシュはあっさり承知し、騎士団の衣服も返してくれた。
着替えさせたのは侍女だと、さりげなく告げられ、内心でほっとする。
冑とマントは部屋に置き、軍服に着替えてから王子の案内で納屋に向かう。
石灰岩の廊下を歩きながら、カティヤは赤毛の長身をチラリと盗み見た。
並ぶと、カティヤより頭一つ半は背が高い。
引き締まった端正な横顔は、普通なら、さぞ女性の心を惹きつけるだろう。
だが、魔眼というのはあまりにも強い魔力を持つため、本人にもコントロールが難しいらしい。
その眼を持って産まれた者は、魔力の暴走で大抵は子どものうちに死んでしまう。
自身だけでなく、周囲を巻き込む大惨事を引き起こした例も何度かあった。
だから、アレシュ王子は驚くほど魔眼を使いこなすと評されながら、畏怖と偏見に満ちた噂も同じくらい流れている。
「どうした?」
カティヤの視線に気付き、黒と金の眼がこちらに向けられる。
「い、いえ……」
「なんだ。見惚れてくれたのかと思った」
残念そうに呟いてから、アレシュはくっくと笑う。
「そんなに顔を赤くしてるからなぁ」
「え!?」
驚いて頬をペシペシ触っていると、更に笑われた。
「嘘だ。……ま、憶えてい無くても、もう一度惚れて貰うという手もあるな」
「……」
軽口の向こうに、無理に押し殺している悲しみが、僅かに見えた。
最初の印象通り、身勝手な暴君のままでいてくれれば、いっそ気楽だったのに……
あんな風に引き止められると、こっちが酷い事をしているような気になってくる。
「アレシュ王子……」
「ん?」
「……いえ」
魔法具の作製に抜きん出たジェラッド王国と、高位の魔法使いの多いストシェーダ王国は、今のところは平穏を保っている。
同じくらい力を持つ大国同士がぶつかれば、互いの被害も大きい。
そうなった隙を突かれてしまえば、普段なら負けるはずも無い小国に足を掬われる事もある。
そんな利害関係に基づいた、薄氷よりもろい平穏だった。
――言ってしまえば、私達は敵国民。
そのうえ一般市民ならまだしも、王族と副騎士団長ですよ?
その言葉を、カティヤは飲み込んだ。
「アレシュさま。こちらにいらっしゃいましたか」
何度目か廊下を曲がった先で、銀色のマントを着た男がアレシュを呼び止めた。
さらさらした黒髪の、全体的に線の細い優男だ。二十代の後半といった所だろう。
カティヤを見ると、片手を胸に当てて優雅な挨拶をする。
「お目にかかれて光栄です。竜姫殿の噂は、この地にまで届いておりますので」
「こ、こちらこそ、光栄に存じます。あの……」
いきなり竜姫の名を呼ばれ、ギクリとしつつ、何とか礼を返した。
「エリアスとお呼びください。アレシュさまの側近にございます」
「補佐役というか、お目付け役だな」
蚊帳の外に置かれた感のアレシュが、やや不満げに割って入った。
「エリアス、飛竜はまだおとなしくしているだろうな?」
「はい。それでご報告をと……先ほど目覚め、食事をしています」
「え?」
途端に、ソワソワと落ち着かない気分でアレシュを見上げてしまった。
飛竜は、けっこう気難しい。
見知らぬ場所では特に気が立つはずだ。
カティヤの表情から、アレシュは内心を組んでくれたらしい。
「こっちだ」
とても自然に手を取られ、駆け足で引っ張られる。
「……」
こんな風に駆けた記憶は無い。でも……
『王子さまも、お外に行けたら良いのに』
……小さな女の子の呟きが聞えた気がした。
空には大きな満月がかかり、夜風が濃緑の空気を運んでくる。
「ナハト!」
パートナーの飛竜は、清潔な干草が敷かれた、気持ちのよい広々とした納屋にいた。
隣の家畜小屋も、清掃が行き届いているらしく、悪臭はしない。
カティヤを見ると、ナハトは巨大な翼を軽く動かし、喜びを表した。
開いている入り口から駆け込もうとしたが、アレシュに止められる。
「念のため、結界だけは張らせて貰った」
魔眼が光り、納屋を包んでいた透明な結界が剥がれていく。
「鎖や縄をつけなかったのは、賢明な判断だろう?」
なんだかちょっと得意げに、アレシュがニヤリと笑う。
「ええ」
素直に頷いた。
プライドの高い飛竜にそんな事をしたら、暴れて手がつけられなくなるだろう。
ちょっと鼻先を撫でてやると、ご機嫌らしいナハトは、木箱に山積みされたキャベツを、また熱心に食べ始めた。
「飛竜の好物まで……」
「非礼をした事は違いない。せめてもの謝罪だ。女性とあらば特にな?ナハト嬢」
「……ナハトが雌だと、よくわかりましたね」
今度こそ、驚いた。
勇ましい勇姿から、雄と思われがちなナハトだが、れっきとした女の子だ。
巨体に似合わず繊細で、人の言葉もある程度は理解するため、雄と間違われるたびに落ち込んでいる。
「まぁな、それくらいすぐ解る」
「ナハトお嬢さんは、大変お行儀よくいらっしゃいますね」
エリアスが優雅にキャベツを差し出すと、ナハトは嬉しそうに翼をバタつかせた。
「きるるるるるーーーっ!!!」
「ナハトぉ……」
ご満悦のパートナーを前に、へなへな力が抜けていく。
レディー扱いされたのが、そんなに嬉しかったか。
おまけに、しっかり餌付けされている……。
(無事でよかったと、素直に喜ぼう……)
太く長い首をなで、苦笑いした。