俺と彼女の話-7
彼女の不安そうな横顔が可愛いと、昔ならそう思えた。でも今は、彼女を不安にさせる事が怖い。だから、俺はすぐに言葉を継ぐ。昔と今とは、やっぱり違うんだ。
「でも、お前が出て行ってからこっち、なんにも楽しくなかったよ。変な言い方だけどさ。俺の身体は、お前でできてるんだと思う」
彼女が不思議そうな顔をするのが判った。まぁ、確かにこんな言い方じゃあ判らないか。
「どんなに我慢しても疲れても……俺はお前が居なきゃ駄目だって事だよ」
遊歩道の脇に植えられた街路樹の方に視線を遣りながら、俺は言ってやった。あぁ、言ってやったとも。
「……私も。貴方に迷惑かけたくないって、何度も思ったけど。それでもやっぱり、貴方と居たいもの」
「…………」
お互い、沈黙した。傍から見たら、妙な眺めだろうな。いい年した大人が手を繋いで、二人とも真っ赤な顔をしてるんだから。
そのまま歩き続け。ふと、彼女が口を開く。
「これで、記念すべき最初の仲直りだね」
握った手に指を絡ませ、彼女が肩を寄せてきた。擦り寄るように顔を寄せた彼女の唇に、キスがしたくなった。でもやっぱり、まだ駄目だろう。
あんな事が無ければ、当たり前にできた事だったけど、今の俺にはできない。
当たり前の事を当たり前にする。それは寂しい事かも知れないが、きっと幸せな事。俺達はその幸せを、理不尽に奪われた。でもその分だけ、大切にできる事もきっとある。
だって実際、手を繋げるだけでこんな嬉しくなれる既婚者ってのも珍しいだろ?
「……そうそう。さっき互いに、謝るのやめてくれって、言ったよな?」
もう、昔のようには戻れないけど。これからも苦労は絶えないだろうけど。
「うん……」
「代わりにさ、」
一緒に進む事はできる筈。
「『ありがとう』ってどうだ? あたらしい口癖って事で」
だから、今ある日常に……感謝を。
「あはははは、何か変じゃない? でも、面白いかも」
運命に立ち向かうなんて言い方はだい逸れているけど。彼女と一緒なら、俺はそれも不可能じゃないと思うんだ。
「貴方も同じようにするなら、良いよ」
悪戯っぽく微笑む彼女が、愛しい。
「それじゃ、決まりだな」
立ち止まって、俺は彼女の方に向き直る。
「うん、決まりだね」
彼女も立ち止まって、正面から俺と向かい合う。
ドラマにあるようなキスシーンは無し。今時の高校生以上に清純だ。
理不尽につけられた傷は、痕を残している。もう何度も、駄目だと思った。
今だってまだ、本質的に全てが解決した訳じゃない。抱き合う事すら怖いんだ。
それでも、今。こうして彼女と居て、手を繋いでいられる事に。
「……」
俺達は見つめ合い、申し合わせたように口を開いた。
『ありがとう』