addict-8
その腕を聡が優しく取った。
「は、なして…!」
涙があふれる。
「放して!人でなし!あなたなんて大嫌いなんだから!優等生のふりなんてして…」
聡が眉を上げる。
「人でなし?僕が?」
冗談だろう、という口調だった。落ち着き払っていた。
「そうです!あなたは…人を…いきなりレイプしておいて…そんな平然と…」
沸き上がって来た怒りとも悲しみともつかない感情に和子は震えていた。涙がぽろぽろと頬を伝っていく。
「レイプ…人聞きが悪いな。君が僕を好きな様だったからしたんだよ。それに君も嬉しがっている様に見えたけど」
聡は余裕を見せていた。
足を組んで椅子に座っている。
和子はうろたえた。
『嬉しがっている様に見えた』だって…?
自分は聡に抵抗したかったが、出来ないと諦めていた事も事実だった。半ばされるがままだった。そんなことでは今聡を責める権利は無いのかもしれない。
聡に『嬉しがっていた』と言われてもそれは否めないのかもしれない。
「……」
聡は眼鏡をかけ、黙り込む和子を見つめた。
彼女は生真面目そうな顔に困惑を浮かべて俯いている。
頬が涙でてらてらと光っていた。
「お互い楽しかった。これ以上に何かいるかい?」
聡の手が和子の頬に優しく触れると、彼女はピクッと体を震わせた。
ろくでもない男だ、と、頭の冷静な部分で和子は思う。
この、
今目の前で、愛しんでとすら言える目で自分を見つめているのは、
とんでもなく身勝手で我が儘な男だったのだ、と。
好きになった自分が愚かだった。
―でも。
和子は聡を見つめ返した。
いかにも怜悧そうで、端正な顔が目に映る。
何度見ても、慣れることはない顔だ。
どうしてこんな人がこの世にいるんだろう。
自分を悩ませるために生まれて来たかの様な人が。
「狡(ずる)い…です」
和子はごく小さな声で呟いた。
「ん?何?」
と聡が優しく問う。
狡いのだ。どんな酷いことをされたって、どんなにろくでもないと知ったって、自分はこの男を嫌えないのだから。
なぜなら自分はこの男を、憎たらしい程愛している。
皮肉にも、聡のこんな“裏の顔”を知ったからこそ気付いたことだった。
本当に嫌ってしまいたいのに、それは叶わなかったのだ。
「先輩…」
和子は白く細い手を、自分の頬を包む聡の手に重ねた。
「さっき…『君が僕を好きな様だったからしたんだよ』って言いましたよね」
うん、と言って聡が頷く。
「…じゃあ…あたしが先輩をずっと好きだったら、先輩は…ずっとそういうことをし続けてくれるんですか?」
ありえないと分かっていたけれど、聞いた。
聡は和子のくちびるに軽く口づける。
「君ならいいよ」
微笑しながら言う。
和子はその言葉にまた涙を少し流し、聡の胸に顔をうずめた。背中に腕を回されて抱き締められると、本気でこのまま世界が終わればいいと思った。
でも聡の言葉は嘘だろうと思った。自分を犯したのはただの気まぐれに違いないのだ。自分なんかをこの大宮 聡が特別視してくれる筈がないのだから。
聡は甘い言葉で自分を騙そうとしているだけだ。
けれど、
この人になら、騙されたって構わない。
とも思った。
こうして抱き締めて貰えるなら。優しく声をかけてもらえるなら―
喜んで騙されよう。