小鳥の里-4
「ところで、ハヅル」
年下の少女に笑われたことに恥じ入ってか、彼はごまかすように小さく咳払いをした。
「なんだ」
「アハトの容体はどう?」
エイの唐突な一言に、ハヅルはあっと声を上げた。
「そうだった。私、それを訊ねようとお祖父様に会いに……」
「心配だね。君も看病について行っているかと思ったよ」
ハヅルは首をかしげた。
「なんで私が」
「なんでと言われると困るけど……彼の許嫁だろう?」
「違う!」
「えっ? 違うの?」
力いっぱいの否定に、エイは面食らった顔をした。
「違う。あいつはただの幼なじみだ。結婚なんか、」
しない、と言い切ろうとした彼女を、エイは首をかしげながら遮った。
「でも、君たちいつも一緒にいるし、てっきり恋人同士なのかと……」
「こ、」
許嫁扱いよりも衝撃だった。彼女は思わず声をつまらせ、一瞬のち、拳を握って彼に詰め寄った。
「絶対、違う! 冗談でもやめろ、気持ち悪い」
「そこまで言わなくても……」
エイは苦笑した。
そんなふうに見えるのだろうか? ハヅルは頭を抱えて煩悶した。
彼女としては、アハトと周囲にそんな誤解を与えるような接し方をしているつもりはない。
もちろん、幼なじみの中でも一番親しい、気心の知れた相手なのは確かだ。
家格も立場もほぼ同じで、互いに上下関係も遠慮も要らない唯一と言ってよい朋友なのだ。……実際は、アハトはケイイルの当主なので、今現在の立場は彼の方が上なのだが。
どちらにせよ、アハトは彼女に敬意を払うように求めたことはないし、アハトとの関係は物心ついたときから何も変わっていない。
将来彼が頭領の座に就いた日には、アハト様と敬わなければならないのだろうが……それもずっと先の話だ。
アハトの方だってそうだ。
彼は婚約の申し出を軽く承諾したあとも、ハヅルに対する態度に何の変化も見せていない。
そう改めて考えて、ハヅルは少々むかつきを覚えた。
だいたい、アハトが承知したせいで面倒な話になってしまったのだ。
つまり、婚約したがっているのは彼で、ハヅルはそれを拒んでいるという構図だ。それなのに、彼女の気持ちを変えようと努力するそぶりもない。
結局、アハトも自分で言うほど深く考えているわけではないに違いないのだ。
そう結論付けて、ハヅルはきっと顔を上げた。
「とにかく、私とあいつはそういうのじゃないんだ」
きっぱりとそう言うと、エイはそれ以上は逆らわず、そうなんだ、と諒解を示した。
「でも、仲が良さそうなのは見ていてわかるよ。僕は周りに同じ年頃の子がいなかったから、幼なじみって少しうらやましい気がする」
「シェシウグル王子は親友なんだろう」
幼なじみとは違うが、同年の友人という意味で指摘すると、エイはなぜかわずかに赤くなった。
「シウはね……ちょっと違うと思うよ。君にとってのアハトとはね」
そう、聞かせるともなく呟いた彼の声音は、ひどく複雑な感情をはらんで聞こえた。
しばらくのち、アハトによろしく、と告げてエイはその場を去った。
看病に出向くような間柄ではないのだ、というハヅルの言葉が、通じたのか通じていないのかわからなくなるような最後の台詞に、彼女はなぜか疲れを覚えてため息を吐いた。
そのときだった。
ちょうどエイの姿が回廊の向こうに消えたタイミングで、庭園の奥から一羽の鳥が滑空してきたかと思うと、彼女の眼前に着陸した。
先刻王女の庭にいた男だ。ハヅルは眉をひそめてその名を呟いた。
「アイサ」
彼は地上で一つ羽ばたくと、瞬きの間に丈高い人間態に変化した。
「お久しぶりです、ハヅル様」
旧知の青年は気取ったしぐさで胸に手をあてると、見上げるような長躯を折り曲げて会釈した。
「後宮の庭に入っただろう。人前で鳥態になるなんて……」
とがめる口調の彼女に、アイサはけろりとした顔で返した。
「後宮には人間態では入れてもらえぬようですので。ハヅル様にお会いするためには致し方なかったのです」
「当たり前だろう、後宮だぞ。男は入れないんだ」
知らないわけではないだろうに、アイサは白々しく驚いて見せた。
「ときにハヅル様」
彼は不意に声をひそめると、何か重大なことでも話すかのように、身をかがめてハヅルに顔を近づけた。
「先ほどの灰髪の男とはどのような……?」
「エイのことか? シェシウグル王子の友人だ」
「ずいぶんと親しげなご様子でしたな」
「別に、親しくは……ただの、王子の友人だ」
ハヅルは知らず、口ごもりながら繰り返した。