小鳥の里-16
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身なりを整えてすっきりしたハヅルは、すぐにも王宮に戻る旨を告げた。
「見送らなくていい。アハトについていてやれ」
「そういたします。どうぞ道中お気をつけて、ハヅル様」
ミズナギは笑顔でそう言って彼女に一つ礼をした。
ハヅルの姿がなくなると、ミズナギは笑顔から一変、横目でアハトを軽くにらんだ。
「……せっかく、一晩お二人きりにしてさしあげたのに」
「……余計なことをするな」
アハトは憮然と言い放った。
「だいたい、こんな体調で何ができると思ったんだ……」
ぶつぶつと不満げにこぼすアハトに、ミズナギはあきれた声をあげた。
「お元気なときでは、あんなに優しくしてもらえないでしょうに」
「……」
アハトは思い当たるふしがあったのか、言い返さず、よけいに不機嫌な顔になった。
「弱っているお姿を見せるのは女を口説き落とすには有効な手段なのですよ。普段強がっている方ならなおさら」
何か反論しようと口を開いたアハトを無視して、ミズナギはこんこんと語った。
「シアのご当主が、どんなお気持ちで可愛いご令孫をお嫁にくださるとお思いです。私どもケイイルの端くれにとっても、当主の奥方としてお迎えするのにハヅル様以上の方はおられません。かくなる上は、」
ミズナギは一旦言葉を切ってアハトに向き直った。
「シアのご当主の気が変わらないうちに、早くご婚儀をなさいませ」
アハトは顔をしかめた。
「祝言は三年後でいいと、サケイ殿は……」
「また、悠長なことをおっしゃって!」
ミズナギは憤慨したように語気を強めた。
「シアの親族の面々が、みな喜んでハヅル様をケイイルにくださるとお思いですか? 特に若い者たちは、この縁組を壊そうと躍起になっているんですよ」
そうだろうな、とアハトは内心思った。
ハヅルがここに飛んできた理由であるアイサの暴言も、元はと言えばその話への反発から来ているのだろう。でなければ、ハヅルを怒らせるとわかりきっているアハトの悪口を、今さら彼女の前で口にはするまい。よほど腹に据えかねて、ぽろりと本音をこぼしてしまったに違いなかった。
幼い頃から、ハヅルの居ない席では遠慮のない悪口雑言を浴びせてくれたアイサが、とんだ手抜かりで彼女の怒りを買ったと聞いて、彼は正直胸のすく思いがしていた。
アイサが彼女に嫌われるのを何より恐れていることを、アハトは知っている。
「もちろん、あちらの事情ばかりが急いでいただきたい理由ではありません」
アハトの考えていることなど知らぬ風に、ミズナギは声をひそめた。
「知っているんですよ、アハト様。アハト様だって本当は、ずっと幼い頃から……」
「黙れ」
続く言葉を、アハトは短く制止した。
ミズナギは大人しく口をつぐみ、言い換えた。
「私たち……私もヒヨもうちの家族も、アハト様に幸せになっていただきたいのです。お小さいころから見ていましたもの、ハヅル様ならアハト様を幸せにしてくださると私は確信しております」
沈黙したアハトに彼女は続けた。
「シアの次期様をお嫁になど到底無理な話とあきらめていたところへ、あちらから望外のお申し出! シアのご当主も、お二人の成長を見守ってこられて、きっと私どもと同じように思われたに違いありません」
何事か考え込むように目を伏せて反応を見せないアハトに、ミズナギは声をひそめた。
「まさかとは思いますけれど、もしも、ハヅル様より良いご縁があるかもしれないなどとお考えだとしたら、それは間違いですよ」
「そんなことは考えていない」
押し黙って聞いていたアハトは、そこだけ間髪入れずに否定してみせた。
それならよろしいですが、と頷きながら、ミズナギはまっすぐにアハトを見つめた。
「ご家族をお作りなさいませ、アハト様。ケイイルのためでなく、ご自身のためにも……ずっと、憧れていらしたでしょ?」
アハトは肯定も否定もせず、ただ黙って、年長の血族から顔をそらした。
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