小鳥の里-14
別棟になっている水屋はやはりだだっ広く、いくつも連なった竈のすぐ脇に井戸が掘られている。
戸棚の酒類や調味料の大小の甕は、主が不在がちな今は大半が空になっているはずだが、以前と変わらず整然と並べられて埃ひとつなかった。
さて水をくみ出して火を焚いて湯冷ましにして、と手順を思い浮かべながらも、他人の屋敷のこととて着火剤の在処もわからないことにハヅルははたと気付いた。
『力』を使えば一瞬のこと、探すのも面倒だ、と鳥態に変化しようとしたときだった。
バササ、と羽ばたき音が近付いてきた。
ハヅルは開けっぱなしの入り口を振り返った。
水屋に直接滑り込むように舞い降りたのは、鮮やかな褐色の美しい羽根模様を持ち、ハヅルたちより少し大柄な、すらりとした姿態の猛禽だった。ミズナギだ。
彼女は埃を立てぬように静かに羽根を畳むと、人間態に変化した。
「まあハヅル様、おはようございます」
まず遅れた謝罪が来るだろうと予想していたハヅルは、正反対に喜色満面で放たれた朝のあいさつに目を剥いた。
ミズナギはハヅルの反応になど気付かぬ様子で、何かひどく楽しげな、弾んだ声で、
「昨夜はよくお休みになれましたか?」
などと訊きながら土間の竈に火を点けた。
「アハト様、やっぱりお喜びでしたでしょう? すぐに朝食をご寝所にお持ちしますから、どうぞお戻りになってお二人でごゆっくり……」
振り返りながらハヅルに笑顔を向けて、ミズナギはようやく言葉を止めた。
無言のハヅルの表情と、震える拳に気付いたのだ。
「……ハ、ハヅル様?」
シアの次期当主の怒りを押しとどめるものは、その場にはいなかった。
「申し訳ありませんでした、ハヅル様」
平身低頭謝るミズナギに、
「もういい」
ハヅルはぷいと横を向いた。
「一度うちに帰る。もう任せればいいんだろ」
「うちとおっしゃると、シアのお屋敷のことですか?」
「他にうちがあるか? 風呂に入って着替える。こんな格好じゃ王宮に戻れない」
「そうですか……」
ミズナギは思案げに頬に手を当てた。
「わざわざお帰りにならなくても、お湯浴みならこちらでしていかれたら? すぐにご用意いたしますよ」
「いいのか? でも着替えもないし……」
「お湯浴みの間にお洗濯しておきますよ。他にも洗い物がありますし」
洗濯のために水流を起こすのも熱風で乾かすのも、洗い皺を伸ばすことも『力』を使えばすぐにできる。
一歩人里におりると変化も力の行使もタブー視されるが、里の内に限れば、彼らは日常の作業のために気軽に変化を行なっていた。
ハヅルは迷った。ひとたび実家に帰れば、使用人やお付きの連中につかまって、すぐに王都に戻るのは難しくなるだろう。
大事にされているのはわかるしありがたいことだが、あれこれ過剰に世話を焼かれるのは、今はわずらわしい。
加えて、他人の家という抵抗感も薄かった。ケイイルの屋敷に泊まってミズナギの世話になるのは、幼い頃に限ればよくあることだったので。
「……じゃあ、お願いしようかな」
「そうなさいませ」