小鳥の里-13
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髪を撫でる優しい指。それがそっと頬に添えられる。
まだ半分まどろみに沈んだ曖昧な感覚の中で、唇にふわりとやわらかく、何かが触れたような気がした。
触れた、と思った瞬間にそれはあるかなきかの感覚ごと離れていって、ハヅルにはそれが何なのかと考える暇もなかった。
ゆっくり瞼を開くと、ぼやけた視界に遠ざかろうとするアハトの顔が映った。
「……アハト」
「!」
アハトが大げさに身体を退いた。
顔には出さないが、アハトはやけにあわてふためいている。
ハヅルは、特に何も考えずに覚醒直後でぼうっとしたまま、ぐいと手の甲で口をぬぐった。アハトはなぜかごくりと息をのんだ。
「……今、起きていたか?」
「? 今起きた」
意味がわからず怪訝な顔をした彼女から、アハトは目をそらした。
ハヅルは追及しなかった。それどころではなかったのだ。
「って、嘘だろ、もう朝?」
あたりを見回して確認するまでもなかった。
寝所には、障子を通してやわらかくなった早朝の日差しが射し込んでいる。
「ミズナギは何なんだ。ほんの数時間留守にするだけだと言っておいて」
夜のうちに王都に戻るつもりだったのに、とハヅルは唇をとがらせた。朝帰りなどして、祖父や王女に何と思われるか。考えるだけでも頭が痛い。
眠気の残る目を擦ろうとした彼女は、はっとして顔をぺたぺたと触った。
「うー……化粧落とさずに寝てしまった……」
宮仕えの身で素っぴんというわけにもいかないので、ハヅルもごく薄く化粧を施している。
一族特有の、血管の透けてみえるような色白の皮膚は、人間ほどたやすく傷つけられない強靭さを備えているくせに意外と敏感で、おしろいを洗い落とすのを忘れて寝ると、てきめんに荒れてしまうのだ。
気をつけていたのに、とハヅルは青ざめた。
髪も、一部を結ってとき流した日中の形のままで寝転んだために、あちこちもつれてくしゃくしゃだ。
もともとがやわらかい猫っ毛でまとまりの悪い髪質だから、毎朝悪戦苦闘しながら櫛目を通して整えているのだ。だというのに現状は、ハヅルの主観では大惨事と言ってよかった。
あまりにも落ち込んだ様子に心配になったのだろう。アハトが恐る恐る声をかけた。
「……それほどは、おかしくないぞ。顔を洗って、髪は梳かせば……」
「……」
ハヅルは上目遣いに彼を睨んだ。
「お前に言われると腹が立つ」
「何だ、それは?」
アハトは顔をしかめた。
彼は男だから化粧などしなくて良いし、ツミ独特のきめの細かい白い皮膚はそれで荒れることもない。
髪も……十二歳の儀式で切って以来、伸ばさず短くしたままの黒髪は、さらさらと、滑り落ちるように真っ直ぐでなめらかで、病床にあってもうねりや跳ねとは無縁だった。
アハトは、ケイイルの先代当主だった母親似だと言われている。
深い切れ長の目の、線の細い端正な面差しには、確かにわずかに女性的なところがあった。髪質も母親ゆずりなのだ。
人間態でも鳥態でも美しさに比類がなかったといわれる彼女の、人間態に似たのが男のアハトだというのは、神様の無駄な采配だ、とハヅルは常々思っていた。
憎まれ口を追加しようとした彼女は、彼の表情に出ない困惑を見て取って、結局やめた。
寝入る前より若干、顔色は良いようだが、憔悴した様子は変わりない。起き上がっているのも億劫そうだった。
そもそもわざわざ起きなくても、とハヅルは思った。
思ったので、彼女は肩をすくめてため息を吐いた。
「……もういい。お前は寝ていろ。水くらい持ってきてやる」
朝食を用意するという発想は根本から無いハヅルである。
生まれてからずっと、多くの使用人や分家筋の者たちにかしずかれて育った彼女なので、当然ではあった。
半ば突き倒すようにしてアハトを寝かせ、彼女は立ち上がった。