想いを言葉にかえられなくても《放課後の音楽室》-10
合奏は過不足なく、まあまあだった。山形の機嫌も直り、明日からまた練習が始められる。だが…彼女の機嫌は直らなかった。
明らかに避けている。視線すらぶつからない。何だか俺も…。
「なぁにイラついてんの?」
イチコにしては鋭い。俺はティンパニの中央で自由曲の冒頭のソロの練習をしている。
「別に」
「嘘!表情がいつもと違うもん」
「激しいソロだから、きっとそのせい」
てんで関係ない事を口走る。イチコに八つ当たりしたくないので嘘を付く。
「でも…音、いつもより…」
「汚いんだろ」
「…ねぇ、どうしたのさ?らしくないよ?」
「そういう時もあるんだよ」
練習を止め、ティンパニをしまう。イチコとの押し問答は俺が準備室の鍵を閉めるまで続いた。「だから、たまには相談してよ、キョースケ、言いなさいよっ」
「イチコ、それは脅迫に近いって。」
「うーっ。キョースケぇ」
「イチコに言わないんじゃなくて、たとえば陸やそれ以外の友達でも言いません。」
「……」
少し言い過ぎたかな。黙ってしまったイチコに罪悪感を感じる。
「…イチコ」
「じゃあ…友達だから言えないの?」
パッと顔を上げイチコが言う。
「へ?」
廊下の真ん中で、他の吹奏楽部員が挨拶を交わしながら帰って行く。
「好きなの!あたしキョースケが好き!」
いつもの張りのある声が廊下に響く。部員は驚き皆が振り返る。
「いや…その…」
口ごもる。だって群衆の中には…彼女がいるのだから。
「恋人なら教えてくれるでしょ?だって友達じゃないし。友達以上にキョースケの力になりたいよ」
あれ?こいつ俺と同じ事言ってる?
「キョースケの特別になりたい。苦しい時は側に居たいし、楽しい時は側で笑いたい。ねぇキョースケ…彼女いないんでしょ?」
イチコの一言一言が、俺の中で渦巻いていたその物だ。俺が千鶴を好きな様にイチコは俺が…
群衆の中の千鶴と目が合う。だけど…千鶴は視線をすぐに外し、背を向けて歩き出した。
どうでもいい…のかな。千鶴にとって俺は彼氏じゃないし…千鶴は……俺の彼女じゃないんだから。
「イチコ」
三年も一緒に部活をしてきて初めてかも。こんなにしっかり見つめ合ったのは。
「俺、彼女いないから…」
思っていたより大きい声で答えてしまった。千鶴に聞こえたかもしれない。自分で言って喉の奥がツーンと痛い。ギュッと一度瞼を閉じる。
「とにかく…ゆっくり話したいから、一緒に帰ろう」
イチコは周りが自分に注目していた事に気付き、今更ながら焦って顔を真っ赤にしている。その様子が可愛くて思わず笑ってしまう。
「早く行こっ!」
駆け出したイチコの顔は、今迄に無い程の笑顔だった。