敬愛地区で-1
都内でもあまり人が近づかない所に、敬愛地区がある。名前は良いが、日雇い労務者達が住んでいる貧しい家の集まりだ。
だから敬愛地区ではなく、敬遠地区と呼ばれることもある。どこどこの家で首を吊った。どこどこで夜逃げした、そんな話は日常茶飯事である。
その地区の真ん中辺に建設途中で工事が取りやめになった廃ビルがある。
その中の、埃を被った資材の上に腰掛けている数人の子供達がいた。
年齢もばらばらの男の子5人と女の子2人である。
「あにき、雪下めぐみのポスター手に入ったって、本当」
男の子では一番小さい4年生のクリちゃんが大きな目をぎょろりとさせて、年長の中学生に言った。
「ああ、ここでは見せられないけど、ある所に隠してある」
あにきと言われた中1のハジメはくたびれた帽子を目深にして、針の穴のような小さな目を覗かせた。
彼は自分の獅子鼻は好きだが、薄い眉や飛び出た額が気に入らない。
帽子も学生服も同じ地区の先輩から譲り受けたものだから年季が入っている。
「中2の2人相手に喧嘩したって本当?」
ハジメにそう聞いたのは、小6のヒロだ。逆三角形の顔中にソバカスが広がっている。髪の毛もやや赤茶色だ。
「ああ、2発ずつで倒した。口だけは達者な奴らで、黙らせるためにこれを使った」
そういうとハジメは拳を握って見せた。
「危ないよ。ハジメさん。仕返しされるかもしれないでしょ」
それは黒いショートヘアで色白のメイだった。ヒロとは双子の妹になる。
「メイ、ハジメさんのボクシングに敵う奴なんていないよ。たとえ中学でもね」
ヒロは双子の妹の二の腕を小突いた。
「ああ、早く雪下めぐみの等身大ポスター見たいなあ。俺ハジメさんからそれ借りて特大カラーコピーしてもらおう」
小5のポンちゃんは太った顔を綻ばせて、そう言った。ハジメは呆れた。
「あのサイズでカラーコピーなら凄く金がかかるだろう」
「だって、それだけの値打ちがあるんだよ。雪下めぐみはアイドルではナンバー・ワンだからね」
その横で同じく小5のカズキが耳打ちした。のっぽの子でヘチマのような長くてしゃくれた顔をくしゃくしゃにして笑っていた。
「もし……もしだよ。雪下めぐみが、ポンちゃん大好きって言って、チューしてくれたら、どうなる?」
「チ……チューしてくれたら、キンタマ割れるくらい嬉しいよ」
「ちょっと! 女の子もいること忘れないで」
メイがポンちゃんを睨みつけた。だが4年生のクリちゃんがおどけて続けた。
「僕も雪下めぐみが、クリちゃん、可愛いってチューしてくれたら、チンポが抜けるくらい嬉しいよ」
「おいおい、そうなったら、お前女になっちゃうだろう」
カズキのツッコミにクリちゃんはおどけて言う。
「良いよ。女になったら雪下めぐみの妹分にしてもらって、同じ布団に入って寝るんだ」
「兄ちゃん、ヒナはねえ……」
クリちゃんの妹で小2のヒナは兄の真似をして言った。
「雪下めぐみが、ヒナちゃん可愛いってチューしてくれたらマンコがとけ……」
「こら、ヒナ!お前はやめとけ」
兄のクリちゃんは妹の口を手で塞いだ。自分は言っても妹には言わせたくないらしい。
「それじゃあ、そろそろ拝みに行くか。トムは後から来ると思うから」
学生服のズボンの埃を払いながら立ち上がったのはハジメだった。
廃ビルを出て産廃施設の裏手に向かうと不法投棄の大型ゴミが積まれている場所に来た。
灯台下暗しと言うが、産廃施設のすぐ裏手なのに不法投棄が発見されず未処分のまま草生(む)している。
そのゴミの山をカモフラージュにして、彼らの秘密基地があった。
雨が降っても雨漏りしないように、大型ゴミを壁や柱にして、ハウスのビニールシートを屋根にかけて、しっかり作っている。
中は畳3畳くらいの広さだが子供の秘密基地としては最大級の傑作だと思う。
中には木箱や整理棚が並べられていて、彼らの『宝物』が集められていた。
「なあんだ。アニキ、あるところってどこかと思ったら、この隠れ家のことだったの」
クリちゃんがそう言うと、ハジメは笑いながら言った。
「あそこは声が響くから誰かに聞かれても困ると思ったのさ」
そう言った後、ハジメは顔色を変えた。そして人差し指を立てて口に持って来た。
「誰かが来る」
「ト……トムじゃないのかい」
クリちゃんが言うと、ハジメは首をゆっくり振った。
「あいつなら音を立てない。それに大勢だ。お前達はここから出るな。声を出すなよ」