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夕焼けの窓辺
【その他 官能小説】

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第5話-7

『今から、会えない?』
『え…』
さすがに、英里は驚きの声を上げた。
こんな時間に、無理に決まっている。
だが、恋しい気持ちは積もり積もっているし、今の圭輔はいつもと様子が違っていてほうっておけない。
『はい…』
ほんの少し間を置いて、英里は躊躇いがちにそう返事をした。

今まで、夜の11時過ぎに家を抜け出した事なんてなかった。
両親にはもう寝ると自室に戻るふりをして、英里は極力物音を立てぬよう、そっと家を出た。
まだ夜はさほど蒸し暑さはなく、初夏の夜風が心地良い。
薄手のカーディガンを軽く羽織った彼女は、エントランスの下に立つ。
この時間が焦れったく、とても長く感じる。
もうすぐ、彼に会える。
先の見えない濃霧のように、塞ぎこんでいた気分が嘘のように晴れて、期待に胸を弾ませる。
程なくして、車のエンジン音が近づいてくると、
「英里」
心臓が、高らかな鼓動を打つ。
顔を上げると、1ヶ月ぶりに見る圭輔の顔があった。
彼も急いできてくれたのか、英里の顔を見ると、ほっと和んだように目を細めて見せた。
「こ、んばんは…」
しばらく黙ったまま佇んでいて、ようやく英里は声を発するが、緊張のあまり声が裏返ってしまう。
(うわぁぁ…何やってんの私…!)
顔を赤面させてあたふたしている彼女を見て、圭輔は思わず声を上げて笑う。
「わ、笑わないで下さいよ…」
むっとした表情で、彼の方を見上げる英里の仕種すら愛おしい。
不自然なところなど何一つない、普段の彼女だった。
「いや、英里はやっぱ変わらないなぁって…安心した」
「???」
圭輔の様子を見ているとやはり違和感を覚え、英里は心配そうに圭輔の手に触れる。
「本当に、どうかしたんですか?」
圭輔は徐に英里の体に腕を回す。
まだ半乾きの冷たい彼女の髪が、彼の頬を撫でる。
「…英里のそういうところが好き」
「もうっ、はぐらかさないで下さい!」
完全に置いてきぼりを食らっている英里は、圭輔の広い胸を強く押し退けようとするが、彼はそれ以上にますます強く彼女の体を抱き締めてくる。
圭輔の膂力の強さに、英里も抵抗をやめて腕の中に大人しく収まり、身を委ねる。
むせ返るような新緑の香りと、彼の匂いに包まれる。
英里は、そっと目を瞑って、その心地よい感覚に酔い痴れた。
内心は彼の突飛な行動に些かの懐疑を抱きつつも、彼が自分を必要としてくれているのならば、今はそれだけで構わない。
「これからもっと会える時間取れるようにするから」
「ううん、気にしないで下さい。今夜はちょっとでも、会えて嬉しいです」
英里の温もりを感じながら、圭輔は胸を痛める。
ほんの少しとはいえ彼女を疑ってしまった事、自分の感情のままに彼女に無理を言ってしまった事。
英里が自分に向ける瞳は、いつも通り変わらないのに。
やはり、自分の勘違いだった。たとえあの時電車で見掛けた男が英里に惹かれていたとしても、彼女は自分の事を想ってくれている。
「髪、冷たい…」
まだ乾ききらず、湿った英里の髪に、圭輔の指が触れる。
「あ、はい。さっきお風呂から上がったばかりで」
「ごめんな、急に呼び出したから…湯冷めしないようにしろよ」
「はい」
とりあえず、英里は素直に返事をする。
圭輔は結局何も話さなかった。
あの時の違和感は単なる思い過ごしで、別に何もないのだろうか?
彼女自身いちいち細かく詮索するのは嫌いだし、鬱陶しがられたくはない。
それならば、もう納得するしかないのだろう。
英里はそう自分に言い聞かせる。
それぞれの心中を明かさないまま、たった10分程の逢瀬は軽い口付けを最後に交わして終わった。


―――今日は、約束していた映画を見に行く日だった。
待ち合わせ場所は駅のホーム。
英里が通っていた高校の最寄駅なので、あまり目立ちたくはなかったが、律儀な彼女は待ち合わせの時間よりもかなり早く到着してしまい、手持ち無沙汰な状態でいた。
3年間通いつめた、あの長い坂。そこを登れば高校が見える。
圭輔の授業を受けていた頃に、懐かしく思いを馳せながら、眩しそうに英里は坂の上を仰ぎ見ていると、ようやく彼が到着したようだ。

映画が終わった後、近くの喫茶店で映画の感想などを話していた。
英里は人付き合いに関して冷淡なところがあるため、同性の友達ですら今まであまりいなかった。
そんな彼女にとって、異性の、しかもこんなに趣味の合う友人は初めてだ。
慣れない大学生活のストレスが少し緩和され、久しぶりに彼女の心が軽くなる。
話し上手な彼の話に、英里は楽しそうな笑みを浮かべて耳を傾けていた。
大学で初めてできた友人の存在が純粋に嬉しかった英里には、まさかその様子を圭輔に見られているなど思いも寄らない。
初夏の青々とした新緑の木々の間を、爽やかな風が吹き抜ける。
オープンテラスの席に座っているため、風が英里の長い髪を柔らかに靡かせる。
そっと、コーヒーカップに唇を寄せる、その横顔は思わず見蕩れてしまいそうな程、美しかった。
「水越さんの髪、長くてすごく綺麗だよな…」
そう言いながら、間近でその様子の虜にされた1人である彼は英里の髪に触れようとする。
「…そう?」
(嫌、触らないで…)
笑顔で受け流そうとするにも、英里の内に瞬間的に強い拒否感が生じる。
話している時はとても好感が持てる人なのに、何故かそこに触れてもらいたくなくて、軽く下唇を噛む。
「英里」
彼の指先が触れそうになった、まさにその時。
静かだが、力強く響く声が鼓膜を震わせた。
その声に英里の心臓は凍りつく。
まさか、そんなはずはない。だって、どうしてここにあの人が…。
振り返ると、そこには彼女の予想通りの男性の姿があった。
「あ…」
彼の表情を目にした途端に、ドクドクと心臓が早鐘を打ち始める。


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