双子の兄妹-9
8月1日。火曜日。
その日、県下の高校水泳部が集まる競泳の大会が開催された。
マユミの学校の女子部員は、男子バタフライのプログラムが始まると、こぞって観覧席の最前列に陣取り、スタート台に立つケンジに熱い視線を送ってきゃーきゃー騒ぎ合った。マネージャのマユミは、自分のチームの男子選手の記録を取るべく、プールサイドにストップウォッチを手に立っていたが、下からそのいつもの光景を見て、困ったような、それでも少し誇らしいような気持ちになっていた。
「もう……恥ずかしいったら……」
マユミは小さく独り言を言って、ため息をついた。
スタートのアラームが場内に鳴り響いて、選手は一斉に水に飛び込んだ。
最初のバサロですでにケンジは他の選手を圧倒していた。彼が頭を出した時には、もう半身以上の差をつけ、そのまま100m安定した泳ぎでトップを維持し、余裕でゴールした。
そんな接戦でもないレース展開にも関わらず、観覧席からは黄色い声がのべつ送られていた。ケンジを目で追う女子たちである。レースが終わって観覧席を見上げたマユミは、自分の学校の生徒だけでなく、他の学校からもたくさんの女子生徒がケンジの一着ゴールに大騒ぎしている姿を目の当たりにした。
学校の部員たちの荷物を並べ直していたマユミの背後から声がした。
「今日も凄かったよね、マユミ」
そして駆け寄ってきた美穂がマユミの背中をばしばし叩きながら興奮したように飛び跳ねた。
「ちょ、ちょっと、痛いんだけど、美穂」マユミは遠慮なく迷惑そうな顔をして、美穂の腕を払いのけた。
美穂は構わず言った。「もう、最高じゃん、ケンジ君。あたしコクろうかな、真剣」
「な、なんでケン兄がそんなに……」
横から別の部員が言った。「だってそうじゃない、最高のイケメンだし、身体つきもかっこいいし」
「そうそう」美穂だった。「他の男に比べて、ごりごりのマッチョでもないし、バランスいいよね」
「それにさ、あたし会場の入り口でおばあちゃんの荷物持ってあげてるケンジ君、見たよ」
「あたしも、」違う部員が首を突っ込んできた。「ゴーグル落として気づかないで歩いてたよその男子生徒に、それを拾って手渡してた」
「誰でもするよ、そんな事」マユミが恥ずかしげに言った。
「違うって、その時ケンジ君、ちゃんと両手で差し出して、にこにこしながら『お疲れ、次のレースもがんばって』って言ってた」
「すごいよね、敵のしかも男子なのに、そんな言葉かけができるんだから」
「親切だけど媚びないし、優勝しても威張らないし、」
「そうそう、メダル掛けてもらう時の、少し赤くなってはにかんだような顔と態度、もうめちゃめちゃ胸キュンだよー!」
マユミはそう言って騒ぐ部員たちを見ながら、自分の双子の兄が女のコに人気がある理由が今さらながらわかったような気がした。
美穂がにこにこ笑いながら言った。「マユミ、」
「え? なに?」
「あんた本当に幸せだね、あんな男のコと一つ屋根の下で暮らせるなんて」
「な、何言ってるんだよ。兄妹だから当然でしょ」
美穂は心底羨ましそうに言った。「贅沢だよ。あたしたちが簡単にできない事、あんたにはできるんだから」
「か、簡単にできない事?」
「一緒に話したり食事したり、プレゼントあげたり……」
「あたしケン兄にプレゼントなんかした事ないよ」
「それ以上の事、できるじゃん。それにもし、あんたがその気になればハグしてもらったりキスしてもらったりもできるんじゃない?」
美穂は悪戯っぽく笑った。
「無理無理無理!」マユミは耳まで真っ赤になって大声を出した。
美穂はにわかに声を落とし、冷静に抑揚を抑えた口調で言った。
「何よ、わかってるよ、そんな事。兄妹なんだから、あんたとケンジ君。冗談だから。そんな力一杯否定すると、まるであんたがケンジ君に気があるのかも、って勘違いしちゃうでしょ」
マユミは顔を赤くしてまま黙り込んだ。
「ケンジ君だったらアキラ先輩みたいに野獣にはならないね、きっと」
「えっ?!」
「そう思うでしょ? マユミも」
「そ、そうだね……確かに。あの人優しいし……」
「やっぱり優しいんだ」美穂は目を輝かせた。「妹のあんたにも優しいんだったら間違いないよね。あたし本気でコクっちゃお、今度」
「え、あ、あの、美穂、で、でもケン兄優柔不断だし、優しいって言っても、そ、その、単に臆病なだけ……だから」
「いいんだ、それでも」
美穂は指を組んでうっとりしたように上目遣いで中空を見た。「彼は絶対、オトコの中の残り1lだよ。ユカリが言ってた通り」
マユミは、そんな美穂の様子をちょっと疎ましげに見やった。
「そうそう、マユミ、」
「な、なに?」
「あたしさ、兄妹で愛し合うっていう本、持ってるよ。貸してあげる」
そう言いながら美穂は自分のエナメルバッグを漁り始めた。
「ええっ? な、何それ!」
「ライトノベルなんだけど、『兄貴に胸キュン!』っていうの。兄妹で一線を越えちゃう、っていう話。なかなか面白くてどきどきしちゃうよ。あったあった。これこれ」
「そ、それって……」
美穂は、取り出した文庫本サイズの薄いその本をマユミに差し出した。「ま、実際そんな事になるわけないけどさ、フィクションだから逆に楽しめるよ。妄想も膨らんじゃうし」
美穂は必要以上にハイテンションになっていた。マユミはその本を躊躇いがちに受け取りながら、それでも鼓動を速くして兄ケンジの水着姿を頭に思い浮かべたりしていた。