G-2
「今朝はどうしたんです?」
昼休みの職員室。時間まで仮眠でもと机につっ伏す雛子に、となりの林田が欠伸の件を訊ねてきた。
いくら和解したとはいえ、触れて欲しくない話題に突っ込んでくる無神経さが辟易する。
「どうして貴方に教える必要があるんです?」
突き放すような口ぶりで、防御を構えた。“本当の理由を知ったら、また馬鹿にされる”と思っていた。
「そんな。つれないなあ……同じ学級の担任同士じゃないですか」
「喩えそうでも、個人的なことを教えるつもりはありません」
余りのぶっきらぼうさに、これは何か隠していると踏んだ林田は、ひとつ策を練った。
「ひょっとして、公子ちゃんの言ったこと、本当だったりして」
「そんなの、有るわけないでしょ!」
やり過ごそうと思っている矢先の頓珍漢な質問は、平常心を徐々に乱していく。そんな雛子を林田はさらに攻め立てる。
「此処に来てひと月余り。そんな人に出逢ってません!」
「目の前にいるじゃありませんか」
「えっ!?」
「ご自宅で、一夜を共にした仲じゃないですか!」
この時、雛子は堪忍袋の緒が切れる音を聞いた。
「じ、冗談じゃありません!わたしはただ、蛙の鳴き声が煩くて眠れないだけで、誰が貴方のことなんか……!」
そこまで喋った時、雛子の表情が猫の目のように怒から暗へと変化した。
林田は策が上手くいったことが余程、嬉しいのだろう。得意満面な笑みを湛えた。
「そうですか。蛙の鳴き声がねえ」
「うう……」
雛子は観念して、事の次第を打ち明けた。
事の発端はニ日前に遡る。田植えを終えた田圃は通常、様々な水棲生物の棲家となって、繁殖期を迎える。
水棲生物には夜行性の種も多く、中でも蛙の類いは夜通し鳴き続ける習性がある。
「でも、普通の蛙なら問題じゃないんです。わたしも疎開先で知ってますから……。
一昨日の夜中から、牛蛙が鳴くようになったんです」
雛子が言うには、その鳴き声は雨蛙や殿様蛙などの“生優しい”物ではないらしい。
「近くの田圃で、夜通し鳴かれて……」
「それで、眠れなかった、と?」
話してるうちに、その状況が頭に甦ったのか、雛子は“ご免蒙りたい”と言う顔になった。
話を聞いた林田は気の毒にと思うが、どうしてやる事も出来ないと覚った。
殆どを田圃が占めているこの村では、蛙は至るところに出没する物であり、逃れようとするのは、まず無理な話である。
「まあ、馴れるしかないですね。田圃だらけですし」
「そうなんですよねえ……」
林田に諭された雛子は、力無いため息を吐いた。理屈では諦めるしかないと解っているのだが、心が甘受することを拒んでいる。
「何より、授業に身が入らないのが……このままじゃ、子供達に申し訳なくて」
そう嘆いていると、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。
「さあ、午後の授業が待ってるわ……」
雛子は、空になった弁当を片づけると席を立ち、虚ろな顔で職員室を出ていった。その覚束ない様子は、林田に哀れさを感じさせる。
(さっきはあんなこと言ったが……)
普段のはつらつさが失われた雛子は何とも味気ない。何とかしてあげないと、と思った。