ボーイミーツガール-1
――ボーイミーツガール・♡
ボクが、木更津エリーちゃんの、あまりに麗しすぎる姿を初めて見たのは、通学途中にあるターミナル駅のホームで電車を待っていたときのことだった。
同じクラスの男子生徒から来た下らない内容のメールに返信するため、ボクは俯いてスマホの画面に向かって指を動かしていたんだけど、文章を打つのに詰まって、ふと顔を上げた瞬間、目の前を紺のブレザーが通り過ぎた。
(あ、この制服……)
胸に大きく結んだ赤いチェック柄のリボンが『聖カペラ女学院』の制服のいちばん目立つ特徴だった。ボクよりも少し背が低いその娘が通り過ぎた後の空気の渦に香りの微粒子が混じっている。桃の実の薄皮を剥いたすぐ後のような、薔薇の花びらを辺りに振り撒いたような、瑞々しい甘さを含んだ、爽やかでとても心地よい香り。
メールの続きを打つことも忘れて、徐々に向こうへ遠ざかって行く、その娘の後ろ姿を眺めながら、ボクは、しばらくの間ぼうっとしてしまった。
十数秒後、再びスマホの画面に目を落とそうとしたとき、ホームに引かれた白線の上に手帳のような物が落ちているのに気づいた。拾い上げてみると、誰かのパスケースのようだった。革製のフレームの部分に見覚えのある校章がレリーフされている。
(コレ『聖女』の印だ……)
さっき目の前を通り過ぎた『聖女』の娘の落とし物だと直感したボクは、すぐさま駆け足で、その娘の後を追っかけた。
「あの、これキミの……」
呼びかけた声に、その娘が振り向いた瞬間、こちらを真っ直ぐに見つめ返す瞳の “威力” に圧倒された。ヒンヤリとした鋭さを奥底に込めた輝きが、全てを見透かすように眩しくキラめいている。ボクはもう、ソレを目にしただけで、口を利くことはおろか、身動きすらまともに出来なくなってしまった。
「何ですか?」
堅い口調で訊き返され、ようやく我を取り戻す、ボク。
「これ、キミの物じゃないかな?」
手に持ったパスケースを顔の前へ差し出した途端、彼女の視線の緊張が緩む。
「あそこで拾ったんだけど……」
ボクが指し示した地点から視線を往復させ、軽く頭を下げてパスケースを受け取った彼女は、それをブレザーのポケットにしまった。すぐに顔を上げてボクの方へ向き直る。
「ありがとうございます」
いえ、どういたしまして……。立ち去るのが勿体ないような、それでいて、すぐにでも身を隠したくなるような、どっちつかずの曖昧な気持ちがボクのからだを縛って、その場から一歩も動けなくなってしまう。そんなボクの心の状態を知ってか知らずか、彼女は “とんでもない言葉” を口にした。
「あの、お名前は?」
え!? この娘、今、何を……。
「お名前は、何とおっしゃるのですか?」
は、速水せいじ、です。ボクは、反射的に名乗っていた。訊かれてもいないのに、必要かどうかもわからないのに、フルネームで。ただ、ボクの脊髄には、次の行動までもインプットされてしまっていたようだ。
「キミの名前は?」
言った。普段のボクの性格からすると考えられないほど大胆な言動だった。やはり、口が勝手に動いたとしか言いようがない。
「私、木更津エリーといいます」
彼女の声がボクの頭の中へ届いた瞬間、電車がホームに滑り込んできた。ドアが開いて乗客が降りたあと、エリーちゃんが入れ替わりに乗り込む。
「速水さん、ありがとうございました」
ドアが閉まり、電車がゆっくりと発進する。エリーちゃんは、ボクに向かって再び小さく頭を下げ、ひらひらと手を振りながら遠ざかっていった。
エリーちゃんの声を、頭の中で、何度も何度も反芻する。
速水さん……速水さん……速水さん……速水さん……速水さん……
ボクは、あまりにもあっけなく恋に堕ちた。