fainal2/2-51
「何をやってんだ……」
一哉は、咬みつくような顔で声を絞り出した。傍らの榊は、その変貌ぶりに少なからず驚いている。
「仕方なかろう。久しぶりで、感覚が戻ってないのだろう」
「そうじゃないんですッ」
一哉は榊の言葉を否定した。
「あの眼です」
「眼?」
「マウンドに立ちながら、あの怯えたような眼……闘う準備すら出来ていないッ」
怒気を含んだ声。しかし榊はむしろ、傾慕のように感じ取っていた。
佳代は、動揺を抑えきれないまま四球を与えてしまった。
これで一死ニ塁、一塁。次も歩かせてしまえば、満塁で一番を迎えることになる。それは、何としても避けねばならない。
(仕方ないな)
永井が佳代を諦めようとした時、達也がタイムをとってマウンドに駆け寄っていった。
「おい!」
達也は佳代の前に立つなり、怒気を含んだ声を発して彼女の胸元を掌底で突いた。
「ごめん……」
いつもは励ましてくれる達也の怒りを知り、佳代は俯いてしまった。
「彼処を見てみろ。アナウンス室の左側を」
言われるままに目を向けた佳代は言葉を失った。ガラスの向こうに、一哉と榊の存在に気づいたのだ。
「なんでコーチが……」
達也は、それに答えず言葉を続ける。
「お前は、お前を見出だしてくれたあの人に、無様な姿を見せたいのか?
小学生の時以来、誰よりもお前の才能を信じているのは、あの人なんだぞッ」
佳代は一哉を見た。一哉も佳代を見ている。
一哉は目を合わせたまま、ゆっくり頷いた後、かすかに笑顔になった。
それを見た途端、佳代の中にあった不安や動揺は、昇華されたように消え去っていった。
「ごめん。こっから仕切り直しだ」
「佳代」
「自分で言ったのに忘れてたよ。笑ってこの球場を後にするって」
達也は見た。佳代の眼窩の奥が爛々と輝き出したのを。
「しっかりな」
達也はマウンドを離れてポジションに戻る。沖浜中は、さらにチャンスを拡げようと、三人目の代打を送り込んできた。
大柄な選手が、右打席に立っている。闘う者に変貌した佳代の程度を計るには、絶好のサンプルだと達也は思った。
(さあ、ここだぞ)
構えたのは内角の真ん中。懐深くを抉るクロスファイヤーを投げられるかだ。
(わかった……)
佳代は頷いてセットポジションをとった。リードを広げるランナーに視線を投げかけて、深く息を吐いた。
右足を後方に蹴ると同時にホームに背を向け、身体のネジを巻く。
左足を軸として、ネジを巻き切った身体の動きが一瞬、止まったかと思うと、宙を蹴った右足をきっかけとして、今度はネジを解放する。
プレートから佳代の身長ほどの前にある窪みを、右足のスパイクが掴んだ次の瞬間、佳代は上体を一気に反転させて左腕を振り抜いた。