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トルムチルドレン
【SF その他小説】

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-1

 窓を背に座る彼女はいつも、午後になると背後からの太陽に照らされて、まるで何かの神様のように輝いていた。後光が射している、というやつか。
 艶やかな髪には天使の輪が光っていて、パネル越しに目が合うと時々にっこり微笑んでくれる。同期の中で、そんなに目立つ存在ではない。実際、とても美人だとかとても可愛いとか、そういう話題には名前が挙がらない 香苗は、俺だけのマドンナというところか。
「木下君、ブラックでいい?」
 残業しはじめて二時間が経った。香苗は手に缶コーヒーを持って近寄ってきた。
「うん、ブラックの方がいい」
 そう答えると、彼女は缶をずいと俺の方に差し出した。「くれるの?」
「お互い残業お疲れさまって事で」
 周囲を見ると、他の人は皆帰ってしまっていた。いつも最後まで仕事をしている課長は、この日終日出張で不在だった。
 俺は「いただきます」と言ってプルタブをあけ、一口すすった。「うんめぇ」
「この前はお母さん、私の事何て言ってた? 礼儀がなってないとか言ってなかった?」
 アハハと笑って顔の前で手を振ってみせる。
「いい子じゃない、って言ってたよ。俺みたいな奴に彼女ができるなんてそもそも期待してなかったらしいからね。喜んでた。香苗が帰ったあともずーっと香苗の話。まいったよ」
 香苗は俺の隣の椅子に腰掛け、両手でカフェオレの缶を挟み込んで「良かった、のかな」と呟くように言う。
「こうなる前に、本当は木下君に話しておかなきゃならない事があったんだ」
 俺は缶から口を話すと、「何?」と話を促す。困惑したような顔で髪を触る香苗は、口をきゅっと真一文字に締めてから、口を開いた。
「私と木下君は多分、おつきあいはできても結婚まではできないと思うの。だから、深い仲になる前に、私とは別れた方が、いいと思うんだ。木下君のためにも」
 俺にはさっぱり話の意図が掴めず「どういう事?」と眉根を寄せる。彼女は困ったような顔をして、耳に下がるシルバーのピアスを引っ張っている。俺がプレゼントしたピアスだった。
「ひと言で言うとね、私、トルチルなの」
 缶を持つ手が一瞬、凍り付く。何も言えず、口を半開きにしたまま顔は動かなくなってしまった。
「ほらね、そうなるだろうと思ってなかなか言いだせなかったんだ」
 俺は魔法にでもかかったように動けなかったけれど、それを何とか自分の力で振りほどき「何歳?」と訊ねた。
「五十歳」
 頭を抱えた俺は、それ以上何を言えばいいのか分からず、居室内は沈黙に包まれた。
「だからね、早いうちに別れた方がいいと思うんだ。奥さんが五十歳で死んじゃうって分かってたら、結婚できないでしょ」
 場違いな程に柔らかな笑みを浮かべる香苗が、酷く気の毒だった。
「うちのお父さん、お兄ちゃんが産まれたあとにリストラされてさ、母親は身体が弱くて仕事できないし、お金が必要だったんだって。仕方ないよね。五十歳なら、親もまだ生きてるだろうから、親に看取られて死んで行くのも悪くないかなって」
 そしてまた、少し目を伏せて笑みを浮かべる。俺は言おうとする事はあるのだが、なかなか口が開かず、口を閉じたまま何度か歯をカチカチと打ち合わせて、やっと声が出た。
「俺のばあちゃんがトルチルだったんだ。七十歳」
 今度は彼女が固まった。俺は構わず話を続ける。
「俺と父ちゃんと母ちゃん、医者やってるじいちゃんの四人で看取ったよ。ばあちゃんはやり残した事もなかったんだろうな、いい顔で息を引き取った。七十年しか生きられないと思ったら、その七十年でできる最大限の事をしながら生きるって事なんだろうな」
 震える声を押し隠すように、缶コーヒーを全てあおった。この量は、休憩には最適な量だな、といつも思う。少し頭がしゃきっとした所で俺は意を決して口を開いた。
「俺と結婚してくれ。そして子供を作ろう。あと二十二年、悔いのないように、やりたい事を一杯詰め込んで、香苗がいなくなる時には皆が笑ってさよならできるように、俺、協力するから」
 差し出した俺の右手は不自然な程に震えていたが、そこに重ねられた香苗の手は涙で震えていた。
「夢みたい。トルチルで良かったって、初めて思った。ほんと、夢みたい」
 俺の手をぎゅっと握った香苗はそのまま一頻り泣いた。うれし涙でもあったのだろうけれど、自分の寿命を再確認してしまう悲しい瞬間でもあっただろう。俺は自分の無力さに呆れながら、彼女の背を擦っていた。

 二人が三十歳になった頃、第一子となる耕太が誕生し、翌々年には麻美が誕生した。「子供は二人いればいい」という香苗の要望により、これにて打ち切りとなった。
 旅行に行きたい所を全てピックアップし、全てを写真におさめた。子供と香苗の写真は率先して撮った。日々の何気ないスナップもだ。子供が料理の手伝いをしている写真や、香苗が麻美の髪を結わいてあげている写真、 耕太の野球を応援する写真。頭の中にインプットしておける情報量は限られているから、後からでも思い出せるよう、こうして写真に残していく。
 いつしかアルバムは、膨大な量に膨れ上がった。



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