王者の模範解答-1
ヴェルナーは故国を愛していたし、祖父(最終的には母を認めていたし、孫に優しいお祖父ちゃんだった)や父が立派に国王を務める姿を尊敬していた。
だから14歳の身とはいえ、戴冠したからには、王の責務をきちんと果たすつもりだ。
一つだけ残念なのは、あと数ヶ月で卒業できた王立学院を、途中で辞めなければならなかった事だ。
フロッケンベルクでは、王族の男子も寄宿学校に入る。
広い階級で貴族の子息が集まる学校だったが、学院内においては王族も下級貴族も関係ない。
友人に囲まれ過ごした五年間は、掛け替えない歳月だった。
しかし、本日の式典で冠を戴いた以上、ヴェルナーは国王だ。
国と民が一蓮托生の命運であるフロッケンベルク。
その仕組みが円滑に廻るため、生きた歯車としてその身を捧げるのが、この国の王だ。
国の最重要人物であり、もう一個人ではいられない。
王座とはどこの国でもそういうものだが、フロッケンベルクの王は、大陸中のどこの国よりも重い責任を担う存在だった。
そして深夜。
静まり返った亡き父の私室に、ヴェルナーはテーブルを挟み、一人の青年と向かい合って腰掛けていた。
魔法灯火が、冷たいほど整った青年を照らしている。
グレーの髪とアイスブルーの瞳をした青年は、病床の父から聴いた通り、誰にも気づかれず影のようにやってきた。
そして完璧な礼節で前王への弔問とヴェルナーの就任祝いを述べ、幻の軍師からの手紙を差し出したのだ。
「貴方が叔父上だったか」
ヴェルナーが言うと、青年は微かに眉をひそめた。
「いいえ。お父上から聞いていらっしゃいませんか?」
「聞いている。正確には、父の伯母の祖父の異母弟殿だそうだな」
「ええ」
「面倒だ。この際、叔父上と省略させて頂きたい」
青年は、相変わらず冷めた色の瞳で少年王を眺めていた。
「どうぞお好きなように、陛下」
「それから、仕事の話以外の時は、私の事もただの甥っ子として扱ってくれ」
「……そのような酔狂につきあう必要が?」
アイスブルーの瞳が、僅かに温度を下げた。
「僕はもう王族ではなく、しがない下級錬金術師です」
「知っているし、公私混同する気はない」
部屋に立ち込め始めた冷気の中、ヴェルナーは悠然と答える。
「だが、貴方が作り上げた重荷を背負う少年に、時折わずかな休息をくれても良いだろう?」
「……」
ふぅ、と青年の形の良い唇がため息を吐き出す。
「まぁ、良いでしょう」
「心の広い叔父上で、何よりだ」
「どうでもいいだけです」
「叔父上の授業はとても分かり易く、面白かった」
安楽椅子の背に寄りかかり、ヴェルナーは国王の顔から年相応の表情へ戻る。
『叔父上』とは、初対面ではなかった。
一年ほど前、王立学院で兵学の教師が急病で休んだ時、青年は臨時教師として教壇に立っていたのだ。
「三日間の臨時教師だったのが惜しいと、友人達も言っていた」
青年が苦笑した。
「兵学も教職も、専門ではありませんよ。たまたま人手が足りず、お鉢が回ってきただけでしてね」
「ほぉ……」
大陸中から脅威とされる幻の軍師が、兵学を専門でないなど言うのを聞いたら、他の軍師達はさぞ憤慨するだろうなぁ……と、ヴェルナーは思ったが口をつぐんだ。
「さて、僕はもう帰ります。今夜は就任祝いの顔合わせに来ただけですので」
あっさり腰をあげた青年に、ヴェルナーは問いかけた。
「叔父上、チェスはお好きか?」
「いいえ。出来ますが、好きでも嫌いでもありません」
「私は好きだ」
これから傭兵軍を束ねる少年王は、少し言葉をきり、最適な表現を捜すように、視線を天井に向けた。
「……チェスの駒は……その、勝っても負けても死なないだろう?」
「最初から、生きておりませんからね」
椅子の傍に立ったまま、青年はこともなげに返したが、ヴェルナーの言いたかった事は判ったらしい。
軽くため息をつき、冷ややかな視線で甥を見下ろす。
「そういえば君は、他の成績は優秀なのに、兵学の成績は、あまり宜しくありませんでしたね」
「ああ。いつも落第すれすれだった」
「学院の教授が重要視していたのは、いかに迅速に敵を叩き潰すかという事でした」
青年の美しい口元へ、不意に柔らかい笑みが浮かんだ。
「味方の被害を極力減らす事を重要視した君は、最低の成績しか取れなかったわけですよ。他の面でも、あの教授と君はとことん相性が悪かったようですね」
「……叔父上?」
「先に申し上げておきますが、僕は相手が国王だろうと幼児だろうと手加減はいたしませんよ。それで宜しければ、金曜の晩に来ます。チェスセットを用意してください」
ポカンと口をあけたまま、ヴェルナーは叔父に魅入っていた。
「――ああ」
やっと、その一言だけ言えた。
そして、青年が出て行ってからやっと、手紙の封を切った。
中身は『姿無き軍師』からの簡単な就任祝いの書面。
それから……
「ハハ……ハハハ!!」
同封されていた、もう一枚の紙を広げ、ヴェルナーは笑い転げた。
去年、王立学院で行われた試験の解答用紙だった。
『万が一、王城が攻落とされそうになった際、とるべき行動は?』という問いだった。
模範解答は『国王を守る』であり、ヴェルナーは見事に回答を外した。罰則の書き取りを散々やらされた覚えがある。
『城は捨て、民を避難させる』彼はそう書いたのだ。
教授によって大きく×をつけられたその上から、赤いインクで花丸が書かれていた。
それから、こんな記述も……
『王者の模範解答』