10-2
ショッピングセンターの、例のカフェでランチをした。そこで不妊治療の話をした。
「相沢さんの旦那さんは、協力的でした?」
パスタを噛みながら相沢さんは何度も頷いた。
「うちは旦那が男の子が欲しいって言っててね。それはそれは協力的だったよ」
顔を上げた相沢さんは、誇らしげで、とてもうらやましかった。
「一人娘がいるにもかかわらず、自分の検査もしてくれって言ってたし、結局タイミング法でうまくいったんだけど、朝だろうと夜だろうと子供の為ならって協力してくれたしね」
私と昭二とは全く違う相沢夫妻の状況に、ただただ呆然とするばかりで、言葉が出なかった。
「あんまり協力してくれないの?旦那さん」
私はフォークにパスタを絡めたまま、なかなか口に運ぶ気力が無かった。
「あんまりと言うか、協力はしてくれない癖に、子供は欲しがってるんです」
そうか、と相沢さんはオレンジジュースを一口飲み「牧田さんは?」と私を見た。
「牧田さんは早く子供が欲しいの?」
私は首を傾げながら正直なところを話した。
「私はそう急がなくてもいいと思ってましたし、今でもそうです。もう少し夫婦で仲良くする時間があってもいいかなって。まだ二十五歳ですから」
そうよねぇ、と相沢さんはまたパスタを口にした。私も一つため息をついてからパスタを口に運んだ。そういえば、最後にデートらしいデートをしたのは、いつの事だろう。全く思い出せなかった。懸命に思い出をさかのぼるのだけれど、長い長い滑り台を逆から上って足を滑らせてしまうみたいに、今に戻って来てしまう。
「もう、夫婦で仲良くするっていう雰囲気でもなくなってるんです。もともと忙しい人で、休日に二人で出かけたりする事も少なかったですけど、今は株にご執心みたいで」
うーんと唸る様に相沢さんから声がした。数秒ためて、それから相沢さんは口を開いた。
「ねぇ、旦那さんの事を愛してる?」
ぐっと喉元が苦しくなった。真吾に訊かれた事と同じだ。旦那の事、愛してるか?私が旦那を愛していない空気を醸し出しているのかも知れないと思うと、何だか笑えてくる。
「育む愛もなくなっちゃってます、もう」
私は場の空気が暗くなり過ぎないように努めて笑顔を見せようとしたが、心は笑うのだけれど、表情は引き攣ってしまう。
「中にはね、子供が出来て愛情が再燃する夫婦もいるのかも知れないけれど、牧田さんの旦那さんの話を聞いてると、そう言う感じじゃないよね。お互いに愛情が無い間に生まれてくる子供は、幸せかなぁ?」
私は声を詰まらせた。今、私と昭二の間に子供が出来たら、私と昭二は再び愛し合う事が出来るだろうか。子供は幸せだろうか。 「自分の両親が、もし仲違いをしていたらと思うと、真っ直ぐには生きられなかっただろうなって。自分に言えるのはそれぐらいです」
相沢さんはストローでオレンジジュースをかき混ぜ「冷たい」と身震いして笑った。
「私は牧田さんに、こうしなさい、あぁしなさいって命令できる立場じゃないけど、一つだけ。これから生まれてくるであろう子供の事を思って行動して」
相沢さんの笑顔は、少しだけ母の笑顔に似ていた。心の中に何か温かい物が宿るのが分かった。
「はい、そうします。旦那との関係も少し、考えてみようと思います」
「そうだね、まだ若いんだから。幾らでも修正はきくんだからね」
彼女に後押しされる形で、私は少し前に進めた気がした。
「相沢さんに相談してよかったです」
少し時間をかけて食べたパスタのお皿を、相沢さんのお皿と重ね、お盆を持った。
「私の方が長く生きてるんだから、何かあったら今日みたいに遠慮せず相談してよ」
母の様に微笑む相沢さんに、私も微笑み返した。午前中は少しどんよりしていた空も、心なしか青い部分が増えていて、相沢さんと別れた駅前で私は、大げさに深呼吸をした。街の雑踏の汚い空気だけれど、身体の中に淀んでいた気持ちの方がよっぽど汚れていると思うと、深呼吸でそれらを吐き出してしまいたかった。