The end of the DragonRaja, Chapter 2[The start in new life]-5
撤退
本来は対象と距離が離れていれば、戦場の断末魔や大地に穴を開ける轟音、
武器や防具の奏でる金属音に伝令の声など掻き消されるはずだ。
しかし僅かではあるが、確かにアランには撤退と聞こえたのである。
伝令はありったけの声を腹から出していた。
そして再び僅かな意味深な言葉をアランの耳に届ける。
引け 引くんだ 殺される
前線の動きを見ていたアランは、バイサス軍が城内に引いて行くのがわかった。
しかし今聞こえた声には、殺される、と付け加えられていた。
(…妙だ。あの伝令が山上要塞から来て撤退と言うのであれば、
山上要塞のバイサス軍は既に壊滅的な打撃を受けていることになる。
ルアーノさんたちの隊は遠距離攻撃に特化した殺傷能力の高い兵が揃っているが、
戦闘開始時からいくらなんでも早すぎる。)
ここまで考え、アランは前線へ向かった。
なぜ撤退するのかという問いを考えても、あのバイサス伝令の当事者に直接聞かなければ、
正しい解など導けない。
ただ今が攻める好機かもしれないが敵の罠かもしれないと考えた。
それだけは辛うじて導き出せるほどの不可解な伝令の言葉だった。
「皆、一旦下がる。後方へ一時後退だ!」
味方の兵が下がり始めたその時だった。
先程アランが見つけた山上要塞の方から疾走してくる男が、城の右へ既にやって来ていた。
男の早すぎる移動速度になどアランの意識は向かなかった。
男は城壁にいる数人のバイサス兵を横状のアイスブラストで薙ぎ払った。
その攻撃をアランは見ていたが、言葉を失う。
ルアーノですら、人の体をナイフで貫通させることは補助魔法が掛かっていなければ難しい。
この男は山上要塞から走ってきたはずだ。
そうであるならば、この男は時間的に考えて補助魔法の効果が切れているはずである。
なのに…。
城壁にいた数人の男の体を貫通したナイフは、多少の抵抗を受け威力を失ったが、空を駆けていた。
朝日を受け、それが不気味に笑うかのように輝いていた。
アランは考える余裕などなく、咄嗟に声を上げた。
「急げっ! 引け!」
同時にアランはこの男に対して剣を身構えた。
この男の異常な強さを間近で見て全身を恐怖で震わせながら。
恐怖に既に体を支配され、動けないことも知らずに。
ただこの男はアランの存在など微塵も気に留めていなかった。
その代わり、彼の尋常ではない強さが海上要塞全てを呑み込んでいる。
シュリはこの状況を後方で見て直感的に危険だと判断し、
プリーストたちに絶対防御魔法、サンクをかけることを徹底させた。
そして彼女は、微動だにせず構えているアランの元へ駆け寄ろうとしていた。
そこで思考を停止させる範囲内に、彼女もまた踏み入れてしまう。
間近で神がかり的な強さを見て、恐怖に支配されその場にへたり込んだ。
男はバイサス軍が城門から城内に引いているのを見ると、その後を追うように城門へ向かった。
アイスブラストを連発しながら。
逃げるバイサス軍の最後部の者から次々と死んでいく。
ナイフそれぞれが独自の意思を持つかのように、活き活きとした動きで体を貫通させ、
それで止まらずに別の獲物を狙ってはまた貫く。
1本のナイフの殺傷能力はゆうに3人は殺せた。
バイサス軍は意を決して城門を閉じ始める。
これ以上多くの犠牲を出す前にという苦渋の決断だった。
しかしこの男はそれを察知すると攻撃の手を止め、俊敏な動きと跳躍力で門を掻い潜っていった。
そして儚くも門が完全に閉じられてしまう。
一瞬の間の後、再び断末魔の復唱が始まった。
城壁の上で、逃げる事もできずに腰を抜かしていた兵士の体に穴が開いた。
その兵士は反動で城壁から身を投げ出し海に落下した。
叩き付けれらた海面はその場で爆発を起こしたかのように、勢い良く飛沫をあげる。
死人によってもたらされたそれは、朝日に照らされ不気味な光を発する。
水飛沫がアランにまで及び、アランの顔に少量の水滴が付いた。
肌は単に水滴というものが触れたという事だけを、脳へと伝えた。
そして意識の中の恐慌世界から、彼を現実世界へと引きずり出す。
アランはようやく正気を取り戻した。