南風之宮にて 4-6
馬の首が不意に、ぱっくりと半ばまで切り裂かれたのだ。
不意に。
誓って、その瞬間までは何事もなかった。人影は間合いの外で立ち尽くしたままであり、切り裂く刃すら存在しなかったのにも関わらず。
血が勢いよく噴き出した。
即死だっただろう馬の脚がもつれる。ぐらりとエイの体も傾いだ。
驚きの声をあげるいとまもなかった。
「……っ」
エイは無様に落馬する前に、鞍を蹴りつけ自ら飛び降りた。そのまま馬の体が、どう、と横滑りしながら地に倒れ込む。
低く着地して、すぐさま体勢を整えようとしたとき、
「お動きにならないで、灰色の剣士」
すぐ背後から声がした。同時に右の首筋に冷たいものが押し当てられる。
エイは反射的に、自ら左前方に倒れ込んだ。転がりざま剣を抜き放ち、勢いよく背後側をなぎ払う。
手応えはなかった。刃は空を斬り、彼はそのまま手をついて飛び退り、剣を低く構える体勢をとった。
間合いのぎりぎり外に、馬上から見たときと変わらぬ佇まいで、その人物は立っていた。
ゆったりとした暗い色の外套を纏い、頭巾を深く被っていて顔はよく見えない。
体型も判然とはしないが、背は高く、どちらかといえば痩せ形の男のようだ。
男、だと思った。
重く響く低音から最初はそう判断したのだ。だが、甘ったるい猫撫で声と慇懃な口調のために、エイはどちらなのかと迷った。かろうじてのぞく顎先は細く、髭は見られない。
見る間に、うっすらと笑みの刻まれた唇が開かれた。
「その懐のものを渡していただけませんか」
思いがけない台詞だった。エイは思わず、胸元を手で押さえた。
「……?」
懐でびくりとハヅルが翼を動かした。異変に気づいて目を覚ましたのだ。じたばたと暴れようとする彼女を、彼は服の上からなだめるように撫でながら囁きかけた。
「ハヅル。少し揺れるけど、我慢して」
手の中で、ハヅルはすぐにおとなしくなった。
柔らかな羽毛の感触と、小動物に触れるとき特有のあの脆くはかない質感が伝わってきて……無条件で、守らなければと、エイは強く感じた。
「わたくしにはツミのひな鳥が必要なのです……」
歌うような、酔っているような、芝居がかった調子で彼ははっきりとそう口にした。
一族の名を出されて、ハヅルの動悸が早まるのがわかった。
「それが可愛いシアの白い小鳥なら、完璧」
そう語りながら、低い声が興奮にうわずっていく。
「ケイイルの黒い小鳥も捨てがたいけれど、そちらは……に譲ってあげましょう」
エイは眉をひそめた。言っている意味がまるでわからない。
だが、攻撃をうけた以上、敵であることは間違いないのだ。エイは言葉の意味を考えるのをやめ、ただそれだけを念頭に、相手を観察した。