白面の鬼-7
「そうやって命乞いをした団員達を、貴様はどのようにして命を奪ったのだ?貴様が暖かい寝床で夢を見ている間、私達は冷たい石床の上で強張った身体を縮め、拷問で受けた傷の痛みを感じながらまんじりともできないでいたのだ。ほんのわずかな時間、床を舐めたからと言って、それが一体いかほどの償いだといえるのだ?私は魔物に身を落としたかも知れないが、それでも復讐の女神はこうして微笑んでくれた。この広い教会の中で、お前と出会うことが出来たのだからな。だがお前は神にも見放されたのだ。それとも、早く御元に来させるよう、神がお前の死を望んでいるのか?」
私はそう言って、クレメンスの丸い指を踏みつけにした。痛みと屈辱に顔を歪める教皇。不意に私は、その憎悪に満ちた顔を爪先で蹴飛ばしたやった。すると蹴られた衝撃以上に、慌てた教皇は転げて見せた。私は再びクレメンスの元へと歩み寄り、胸ぐらを掴んで無理矢理立たせると、息が詰まったクレメンスは苦しそうにひゅーひゅーと喘ぎ、私の手から逃れようと藻掻いた。以前の私でもクレメンスごときを締め上げるのは簡単であったが、魔物となった私なら尚のこと、クレメンスがどんなに藻掻こうと、私の手から逃れるはずもなかった。しかし次の瞬間、クレメンスは私の頬に唾液を吐きかけた。
「この悪魔めっ!やはり貴様達はサタニストだったのだな!?己の罪を恥じいず、地獄からのこのこと甦って筋違いの復讐をしようと言うのかっ!!」
恐怖が度を過ぎたのか、クレメンスは怒りに顔を染めて悪態をついた。盗人猛々しいとはまさしくこのことか。私は怒りのあまりクレメンスをそのまま床に叩きつけた。それこそヒキガエルのような呻き声を上げて腹這いになるクレメンス。しかしその時、足下に転がっていた燭台が丁度クレメンスの目に飛び込んできた。そして、それはクレメンスにとっても私にとっても良い偶然とは言えなかった。その燭台を掴んだクレメンスは必死の形相で私に突進し、燭台を私の腹部に突き刺した。人間の動きなど、ましてやクレメンスの動きなど今の私にとっては止まっているようなものであったが、しかし、その時のクレメンスの鬼気迫る様子に呆気にとられた私は、やすやすとその燭台を腹に受けてしまったのだ。一瞬、何事が起こったのか分からなかったが、腹部にめり込んだ燭台を見て、私は更に激高した。
クレメンスがノスフェラン(不死者)の弱点に精通していたなら燭台は確実に私の胸を貫いていただろう。だが悲しいかなクレメンスは聖職者ではあったがオカルティストではなかった。突き刺さった燭台が吐き出され、傷口が見る見るふさがっていくと、クレメンスは目を見開いて驚きのあまり喘ぎ声を漏らした。信じられないとか、莫迦なとか、或いは神の名を口にしたのかも知れなかった。しかし、その言葉ははっきりと発音されぬまま、クレメンスの首は宙を舞い、首の付け根からは紅い鮮血が噴水のように吹き出した。クレメンスの血は私に降り注ぎ、血を受けた私は恍惚となって立ちつくした。人の生の活力が、血液と共に私の肌から染み込んでいくようだった。私の身体は、そして白い礼服は血で真っ赤に染まったが、次第にそれは消えていく。私の身体が皮膚で血を吸い込んでいったからだ。
復讐を果たした私は達成感も喜びも感じないまま、十字架の前で茫然自失と立っていた。何時しか満月は西の空にあり、東の空は心なしか菫色に染まっていた。私の鋭い聴覚は人々の動き出す物音を敏感に聞き、我に返った私は逃げ道を探した。しかし、例えこのまま外に逃げられても、マグナスの屋敷に辿り着く前に太陽は昇り、隠れる場所もないまま私は焼き尽くされるだろう。私はこのまま此処にいて、死を受け入れようかとも思った。私を陥れたクレメンスは死んだのだから、私に思い残すことはなかった。ふと気が付くと、何者かがこちらに近づいてくる足音が聞こえる。恐らく僧侶の誰かだろう。一瞬礼拝堂へ入ってきたところをひと思いに殺してやろうかとも思ったが、その者を殺したところで今となっては無駄な殺戮だ。私は覚悟を決めて扉が開くのを待った。
「やあ、友よ。随分派手にやったものだな…」
扉を開けて姿を現した男は、開口一番気安い声を掛けてきた。勿論その男とはマグナスである。どうやらマグナスには私の行動は筒抜けであったようだ。
「私の後をつけてきたのか?」
私は呆気にとられてそう質すと、マグナスはやれやれと言った様子で肩をすくめた。
「あれだけ派手に町中を大騒ぎにしておいて、それで隠密行動をとっていたつもりなのかい?猫の首に鈴どころか、ラッパを鳴らして回ったようなものだ。私が獲物を探して徘徊しているとあちらこちらでテンプル騎士団の幽霊だなんだと、君の行き先なんて考えるまでもなかったね…」