白面の鬼-6
私は狩りの仕方以外にも、超人的な腕力や感覚、卓越した吸血鬼の生命力を知ったが、それと同時に我々の種族が火の属性に弱いと言うことも知った。どんな傷を負ってもたちどころに元に戻る不死の身体も、燃えさかる炎と太陽の光には弱かった。一度だけほんの一筋の日の光に指を触れさせてみたが、指先は瞬時に黒こげになり、治癒も他の傷と比べて治りが遅かった。マグナスは一度腕を曝してみてはとからかい混じりに嗤ったが、勿論そんな暴挙に出ることはなかった。ある意味、本能的に知っていたことがより明確な知識として精神の奥深くに刷り込まれたようだった。ともあれ、他にも私は吸血鬼が人間の中で振る舞う方法や、果ては旅をする為の心構えや、太陽光の避け方、土に潜って滋養を得る方法など様々なことを学んだ。
しかし、そんな事に煩わされながらも、私の心の中にはどうしても離れない一つのことがあった。勿論、それはフィリップ国王とクレメンス教皇への復讐である。私はいつでもこの二人に復讐するのだとマグナスに申し入れたが、彼はまだ時期尚早であると言うか、ひよっこの私にはまだ難しいと言うばかりで真剣には取り合ってくれなかった。また彼は計画性が必要だと主張するのだが、こうも超人的な力があれば、そんな計画性など必要無いと思われた。
そして、ある日。狩りに出た私はマグナスと別れ、こっそりとクレメンスの住む教会へと向かった。私はその時紅い十字架の描かれた白いマントに身を包んでいた。まさしくそれは騎士団の礼服であり、その姿を見た者は幽鬼の類に出会したと腰を抜かしたが、私はまるでかまわなかった。どういう訳か私は、その時かなりの興奮状態にあったようで、マグナスが教えてくれたように身を隠すことも、私の姿を見た者を殺すこともしなかった。後でマグナスに聞いたことだが、この時は丁度満月で、我々の眷属はそれに精神状態を左右されるらしい。それが本当のことなのかどうかは別として、その時の私は見境や分別という言葉を持ち合わせてはいなかった。私の心にあるのはただ一つ、強欲な豚クレメンスを、地獄の底へと叩き込むことだった。
やがて私は教会の敷地に入ると、苔の生えた壁をやおら掴み、ぐいぐいと這い登って窓の一つからするりと中へと潜り込んだ。若い僧侶の一人と思わず出会したが、私はその男が声を出す前に細い首をねじ曲げた。死体が見つかれば直ぐに騒ぎとなるだろうが、そこまで長居をする気はない。憎むべき男、クレメンスの命を奪えば、直ぐにでも退散するつもりなのだから。
しかし、意外にクレメンスの居場所は分からなかった。広い教会内をあてど無く歩き回り、私の心には焦りが生じ始めた。もしこのままクレメンスが見つからず、夜が明けてしまえば私は途端に窮地に立たされるだろう。街ではテンプル騎士団の亡霊が現れたと騒ぎになっているだろうし、先ほど殺した僧侶の死体が直ぐにでも見つかるかも知れない。
しかし、焦れば焦るほどクレメンスの居場所は見つからず、私は期せずして礼拝堂へと足を踏み入れていた。そこにはステンドグラスの淡い光に照らされたイエスの像が厳かに立っていたが、今更何の感慨も湧くものではなかった。こんなものはただの石塊に過ぎないのだ。或いは私と騎士団の絶望の象徴か。私は苦々しい思いでその場に立ちつくした。しかし次の瞬間、目の前の神の御心には到底適わぬ事態が起こった。がたりと音がして振り返ると、そこには中年の僧侶が一人、驚いた顔で立ちつくしていた。足下には彼が持ってきたであろう蝋燭が転がっており、火は既に消えている。普通の人間ならその闇に立っているのが誰かは分からないだろうが、今や闇の眷属たる私にはその男の恐怖に歪む顔がはっきりと見えていた。私は驚きと思わぬ喜びとで口の端を奇妙に持ち上げて引きつった笑いを浮かべた。そして、乾き、しわがれた声を絞り出すと低い呻き声を漏らした。
「また会えたな、クレメンス…」
私は神がクレメンスを此処に寄こしたのかとも思ったが、復讐の片棒を神が担ぐはずもない。或いは復讐の女神が気紛れを起こしたのだろうか。どちらでも私にとって好機には違いなく、笑いがこみ上げて仕方がなかった。月明かりに照らされた私の顔はかなり凄惨な顔をしていたのに違いない。クレメンスは蛇に睨まれた蛙のようにその場に立ちつくし、声を上げることすら出来ないようであった。見るとがくがくと膝がわらい、血の気の引いた顔は脂汗が滲み、視線は宙を泳いで落ち着きがなかった。私はそんな惨めな教皇の姿を見るほどに、腹が立って仕方がなかった。そして教皇が惨めに振る舞えば振る舞うほど、顔に張り付いた会心の笑みは消え去り、どす黒い怒りで顔が引きつるのを感じた。我々を陥れ、仲間達を惨めな死に追いやった人間が、こんな哀れで矮小な男だったとは。昼間民衆に見せる尊大な態度はどこへやら。今の教皇は恐怖に震え、蛙のように這いつくばり、後生だからと命乞いを始める始末。