白面の鬼-2
「私はマグナス。私はお前が考えているような者ではないよ。私は悪魔やその類の者ではない。無論、人間でもないし、人間より遙かに優れた能力を持っている。私はある意味新しい生物なのだ。しかし、誓って悪魔などではない。私は悪魔などこれまで一度もお目に掛かったことはないし、影すら拝んだことはない。悪魔やその類などと言う物は、頭の悪い神学者共が皺の寄った額を付き合わせ、真面目ぶった顔で議論する想像上の物。ただの妄想に過ぎないのだ。勿論、私を信じようと信じまいとお前の勝手だ。私は悪魔のようにお前の魂を見返りに求めたりはしないし、お前に力を得ることを強要したりはしない。選ぶのはお前だ…」
マグナスは神妙な声でそう告げた。投獄される前の私であるのなら、新しい生物などと言う言葉に反感を持ち、マグナスに唾を吐き掛けたであろう。種の起源は、私にとっては未だに神にあったのだから。しかし、その時の私はそんな言葉の細かなところまでは神経が及ばなかった。ただ、罪を認めろと言う拷問者に対して頑なに首を降り続けたように、マグナスの言葉にも耳をふさぎ、かぶりを振った。するとマグナスは大きな溜息を付くだけで、彼の言葉通り私に何も強要しなかった。赤く光る瞳で冷たい視線を向けるマグナス。私はそんなマグナスに、乾いて固くなった舌を懸命に動かして、その真意を訊ねた。
「何故、私に話を持ちかけた…?」
私以外にも囚われた者達は大勢いるのに、何故私なのだ?そう続けようとしたが舌が上手く回らなかった。しかし、マグナスは理解したようで、薄い笑みを浮かべて私の質問に応じた。
「私は友達が欲しいのだよ…」
そしてそう答えたきり、マグナスの黒い身体は闇に溶け込み、瞬きする間もなく煙のように消えてしまった。
不思議なことに、私はマグナスと会った直後、とてつもない睡魔に襲われて眠りに落ちてしまった。そして、翌日目を覚ましたときには、痛みはあるものの気分が良くなっており、我が身のことや団員達の事、ジョフロワの事等、暇に任せてつらつらと考えを巡らせた。私の前には灰色の死しか存在してはおらず、他の団員達にしてもそれは同じ事なのだが、だからと言って私にはこの冷たい鉛のような現実を受け入れるだけの強さは既に失われており、動かしようのない運命を、整然と頭の中で並べ替えるしかなかったのだ。しかし、あれこれと考えを巡らしてはいても、直ぐに脳裏に浮かぶのは昨晩の事。白い顔をした悪魔、マグナスの事がいつの間にか頭の中に現れた。私はその度にかぶりを振り、汚らわしい悪魔、信仰の敵を記憶の外に追いやろうとした。しかし、マグナスは頑固にも頭の中に居座り、私の心を千々に乱すのだった。
そしてその晩。鉄格子の向こうに見える空がすみれ色に染まり、やがてそれが闇に取って代わると、ぬば玉の闇の奥から再び白面の鬼が姿を現した。私は嫌悪に顔を歪めるが、マグナスはそんな私の事をまるで意に介さず、また再び同じ事を言いだす。
「どうだね?私の申し入れを受ける気になったかね?」
マグナスの紅い眼が、冷たく私を見据えている。私は獣臭い悪魔を睨み付けると、吐き捨てるように言い放った。
「私は悪魔の申し入れは受けない」
私は精一杯威厳を持って答えたつもりであったが、囚われのみすぼらしい身なりではあまり説得力はない。マグナスはやれやれと言った調子で肩をすくめると、壁際にもたれて座り込んだ。
「私の事を悪魔と呼ぼうが、なんと呼ぼうがかまわないが、いい加減、自分の置かれた立場を理解してもらいたいものだね…。まあ、かまわないさ、定命の友よ。火炙りになりたいのならそれも君の自由だ」
我が儘な子供や、痴れ者を相手にするようなマグナスの態度に、私は心底腹が立った。私は自尊心を持って生きている。火刑に甘んじるのも騎士の誇りと典範を遵守するからだ。しかし、この悪魔はまるでそんな自尊心を認めようとはしない。無価値であると言わんばかりの態度で、私を見下しているのだ。
「くだらない悪魔めっ!!貴様に友と呼ばれるなど汚らわしいっ!強要はしないと言いながら、どうして私の前に再び姿を現したっ!!」
私は怒りのあまり傲然と言い放った。しかし、マグナスはそれを面白そうに眺め、そのマグナスの態度に、私は言葉を失った。悪魔に対して、自尊心や道義を説く事自体間違っているのだ。