13-1
月曜日、出勤すると居室のドアの前に総務部の面々が集まっていた。
「おはようございます」
いつもと違う状況に、じわっと汗がにじみ出る。先輩の一人が状況を説明してくれた。
「いつもなら添島さんが鍵を開けてくれるんだけどね、今日は休みなのか鍵が開いてなくて。今、中野さんが鍵をとりに向かってるの」
はぁ、と私は惚けたような顔をした。当然だ、あいつはこの世から抹殺されたのだから。中野さんが戻ってくるのと黒谷君が出勤するのは同時だった。私は同じように黒谷君に説明し「添島さんが休みなんて珍しいなぁ」と寄越された視線に狼狽する。
当たり前の事だが、私に対する嫌がらせはぱたりと止んだ。添島は会社に連絡を寄越さないまま欠勤が続き、携帯にも連絡がつかないと課長が焦り始めた。
「一人暮らしだよな、家で、倒れたりしてるんじゃないか?」
中野さんと課長は何か話し合っている様子で、どうやら彼女の家に行ってみる事になったらしい。その会話をおぼろげに聞いていた。
「楓ちゃん」
咄嗟に掛けられた言葉に仰天し、へ? と返事にならないような返答を戻すと彼は憂いているような顔で言う。
「楓ちゃんの家を出た後、奈々美、どこかに行くとか言ってなかった?」
そう問われ、私は押し黙った。暫く考えた末に「言ってなかったけど」と大袈裟に不安げな顔をして返す。
「どうしちゃったんだろうな、あいつ。何か犯罪にでも巻き込まれたのかもな」
腕組みをして、熟考しているらしい黒谷君の横顔を見つめた。
「ご家族は、遠方なの?」
「あいつ、家族いないらしいんだよな。だから行方不明になったら会社が捜索願いだすのかなぁ」
私の顔を覗き込みながらそう言うので、「さぁ」と私は視線を中空に漂わせる。
添島の住むマンションの管理会社に鍵を開けてもらったところ、部屋に添島はおらず、結局会社が警察に届け出た。となると、捜査の手が自分に向かうのは時間の問題だった。
「松下さんの家に寄って帰ったという事で間違いないですね」
スーツを着た刑事にそう問われ、私はなるべく歯切れよく「そうです」と答える。
「近くのコンビニの防犯カメラに、彼女らしい人物が映ってたんだけど、その後どこかに行くとか、そんな話は聞いてなかったですか?」
「ないですね。家に帰るようでしたけど」 玄関の壁に凭れて刑事の質問に答える。もう一人の小柄な刑事が私を値踏みするように視線を動かしているのが不愉快だった。添島と私の髪型は殆ど同じだった。顔さえ誤摩化せればコンビニの防犯カメラなんて敵じゃない。
「松下さんのところには恋愛の相談、みたいなもので行ったようだ、と同僚の方が仰ってましたが、それは間違いないですか?」
無言で頷く私に、彼らも同じようにして頷いてみせた。
添島は、入社してすぐに総務部に配属された。仕事はかなりできる人間で、部署にとってはなくてはならない存在だった。穴を埋めるために、本社の総務部から、越智さかえさんという女性が異動してきた。私は不本意ながら添島が座っていたデスクに移り、越智さんは教育担当となる黒谷君の隣に座る事になった。それでも新棟の居室レイアウトの件で黒谷君に関わる時間が多く、小さな会議室で彼は毎回のように私にキスを求めるようになった。
勿論私だって悪い気はしない訳で、あんな奴の空いた穴に収まるのは心外だったが、なし崩し的に彼と身体の関係をもつようになった。
「越智さん、二人になると俺に色目使ってくるんだよな。あれ、どうにかなんねぇかな」
ベッドで彼の腕に抱かれながら、「越智さんが?」と彼の顔を見る。
「あのハキハキした感じが、奈々美に似ててさぁ、苦手なんだよね。って俺、奈々美がいなくなって清々してるみたいな事言ってるな」
自重気味に笑った彼に、私は笑い返す事ができずに、ただふっと小さく声が漏れるだけだった。
「今の俺には楓しか見えてないのにな。なぁ、楓」
そう言って私の髪をかきあげ、唇を重ねる。あいつが抜け殻になったこの家で、こうして二人抱き合っている事が妙に滑稽で、口端に笑みが溢れてしまう。生き残った私の勝ちだ。死んだあんたの負けなんだ。
残っていた消火器点検をするために、点検表を持ち中野さんと廊下に出た。彼女は無言で三階への階段を上り始めた。私は後ろからついていく。
ふと、彼女が足を止め、こちらを振り返る。
「ねぇ、黒谷君と付き合ってるの?」
私は暫く彼女の目をじっと見据えた後、「そうだよ」と答える。その声は自分でも驚く程、冷たい物だった。しかし彼女も負けず劣らず無機質な声を出す。
「奈々美のおこぼれに預かれて良かったね」
すっと踵を返し、点検作業に入った。おこぼれという言葉は気に食わなかったが、下手に話してぼろを出さない方が良いと判断し、その言葉を無言で受け入れた。
「まさか、奈々美の失踪に松下さん、関わってないよね?」
「まさか。中野さんこそどうなの?」
「関わってる筈ないでしょ」
中野さんが視線をこちらに寄越さなかった事に救われた。声は隠せても、瞳に現れる動揺は隠しきれるか自信がなかったからだ。