12-1
横たわる添島の抜け殻の後ろから、タオルを巻き付けて顔が見えないようにした。排出された体液の臭いが不快で、それでも我慢して彼女の洋服を脱がせた。下着姿だけになった添島は、首を紫色に染め、SMプレイの娼婦のように見える。
黒いスカートは少し濡れていたけれど、少しタオルを当てて水分を吸い取ると、彼女の洋服を着て外に出た。彼女の家の方角に向けて歩く。履きなれないハイヒールで途中、つまづいて転びそうになったところを何とか耐える。
近くのコンビニに寄った。添島の鞄から添島の財布を取り出し、適当なお茶を買った。店員は私の顔を覚えるだろうか。少し不安になり、なるべく目線をあわせないように前髪の下から覗くようにして支払いを済ませた。
自宅に戻ると、当たり前のように出て行ったときと同じ、無様な格好でそいつは転がっていた。
突如、携帯電話の呼び出し音が響き、現実に引き戻される。黒谷君からだった。先程まではなかった指先の震えに戦きながら通話ボタンを押す。
『あ、黒谷ですけど』
「うん、松下です」
途端に、目の前に転がる抜け殻と現実世界の乖離に動揺し、その場に立っていられなくなった。抜け殻からなるべく離れたく、玄関まで尻を引きずって移動した。
『あ、今奈々美と一緒?』 ひゅっと吸い込んでしまった息の音に、黒谷君が気づかなければ良いのだがと不安になる。
「もう、帰ったよ。嫌がらせしたの、自分だって白状して帰ったよ」
一瞬、電話の向こうが無音になったが『そうなのか、それはよかった』と明るい声が響く。いつもは心地よい筈の彼の抑揚が、今は不愉快に思う。
「ちょっと今、忙しいから切るね」
そう言って返事を待たずに私は電話を切った。現実に引き戻される。この抜け殻を、どうしたらしいんだろう。
玄関からは、タオルを巻いた添島奈々美がこちらを向いているのが見える。一番遠い距離なのに、こちらを向かれているのは気味が悪い。全速力で抜け殻の横を通り後ろに回ると、大げさな程に肩が上下した。
無論、そこに転がる抜け殻の背は上下する事がなく、その場のみ時間が凍結してしまったように思える。これからしなければいけない事を考え、とりあえずはこの忌々しい服をあいつに返却する事から始めようと、服を脱いだ。
人の抜け殻というのはこんなに重たいものなのかと驚く。家のすぐ前に停めてある自分の車の後部座席に抜け殻を乗せた。シートに横たえようとしたのだが、ごろりと落ちてしまった。大家さんが裏の畑で使っているらしい、大きめのシャベルが置いてあるゴミ置き場に足を運び、三本あるうちの一本を借りた。
実家に近い山中に、車が入る事ができる雑木林がある。子供の頃、兄のカブトムシ狩りに付き合って、父の車で山の中に入った事がある。そこまで車で行ってみる事にした。本当は早いところこの抜け殻とおさらばしたいのだが、その辺に転がしておく訳にもいかない。
大きな木の横に車を停める。車のライトを消すと、生い茂る木々の影響で月明かりも届かない純然たる暗闇が広がる。それでも足下ぐらいは視認できるので、持ってきたシャベルで人が一人入れる位の穴を掘った。獣に掘り返されたってかまわない。とりあえず暫くここに置いておきたい。柔らかな土はスルっとスコップを吸い込むようで、穴掘りはあっという間に終了した。一つ大きな息を吐いた。もう少し明るい場所でなら、この息は白く見えただろう。自分もこの世から存在を消し去られたのではないかと錯覚する。
後部座席から抜け殻を引っ張りだした。一瞬、血の気が引いた。抜け殻は、靴を履いていない。鞄は持って来たのに。妙な存在感をひけらかすあの忌々しいハイヒールがありありと思い浮かぶ。それでも抜け殻だけ遺棄できれば、靴なんて燃えるゴミに出したらいい。掘った穴の中にゴロンと横たえると、足下に鞄を投げた。上から丁寧に土を被せる。湿り気を帯びた土の臭いが鼻を突く。
車に載せてあった懐中電灯で、周囲を確認した。ふと、少し離れたところに変わった形の石を見つけた。近づいて良く見てみると、自然にできたとは思えない程きれいな三角錐の形をしていた。吸い寄せられるようにその石を手に取る。
「きれい」
私は顔を綻ばせ、その石を片手に木の元に戻ると、土を被せた上に、墓標のように置く。柔らかな土に沈み込むような感触だった。何か意味があってした事ではない。餞のつもりもない。無意識のうちに、その石を置いていた。
玄関を開けると目に飛び込んできたのは添島のハイヒールだった。一目でブランド物だと分かる中敷のアルファベットを口に出して言ってから、手近にあったビニール袋に入れようとすると、ヒールが引っかかってなかなかビニールに入らない。忌々しい添島の体液に吐き気を催し、幾度も手洗いに駆け込んだ。それでもどうにかして、部屋を元の状態まで戻す。
殺害した直後に比べるとかなり落ち着いて来た。週明けには警察に捜査願いが出されるかも知れない。万が一、取り調べをされた時にどう対応するか、脳細胞を酷使した。夕飯を食べていなかった事に気づいたのは、腹の虫が鳴ったからだった。これまで一週間近く、まともに食事ができなかった割には、この音を聞いていなかった。
「食べるか」
独りごちて、キッチンへ向かう。