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翌日も同じ形の封筒に、同じA4用紙が入れられていた。昨日とは少しずつ内容が異なっていて、私はまた喉元に不快な固まりを感じた。
「弱いフリをして黒谷に近づくな」「会議室に黒谷を連れ込むな」
黒谷君はそれを読んで眉をひそめた。 「見られてたのかな、まずい事したな」 「うん、でもいいよ。こうやって色々言葉を寄越す間に、何か尻尾がつかめるかも知れないし。会議室に行った事を知ってるのなんて、確実に近い部署の人しかいない訳だし」
私の顔を覗き込むようにして見た黒谷君は「すっごい顔色悪いけど、医務室行く?」と勧めてくれたが「大丈夫」と言って業務を開始した。本当は大丈夫なはずなかった。A4用紙を埋め尽くす言葉の数々が、頭の中を無限にループし、私の思考は停止状態。仕事にならなかった。
翌日もまた、少し内容の異なる紙が送られてきた。その翌日も。
木曜、私と黒谷君は新棟居室のレイアウトを相談するために、会議室へと移った。
「今週だけでだいぶやつれたな。ご飯、食べれてる?」
心配させまいと首を縦に振りたいのは山々だったが、この四日間は食堂にも行かず、夕飯もろくに食べられず、自分でも憔悴した顔を鏡で見ているため、嘘は言えなかった。
対面に立っていた黒谷君は、手に持っていたペンを机に置き、私の傍に立った。両の手で、私の頬を撫で、「心配だ」一言漏らし、唇を重ねた。私はすぐに顔を離した。こうしている間にもどこからから見られているかも知れないのだ。
「ごめん、なんか心配で、つい」
項垂れている黒谷君に「そんな、謝らないでいいよ」と尻窄みな言葉をかけると、「残り、片付けちゃおっか」と彼は酷く明るい声で対面に戻っていく。
心配だからキスをする。それはどう考えても居心地の悪い言葉で、ずっと頭から離れなかった。
「黒谷を返せ」「唇を返せ」「一人で死ね」「首くくれ」
そんな内容が並んでいたと思う。最後まで目を通す事なく、シュレッダーにかける。茶色い封筒が乾いた悲鳴を上げると共に、自分の手もシュレッダーに吸い寄せられていき、寸でのところでぱっと手を離す。
お前が死ね。首をくくれ。この五日で思考は暗転し、文面から考えて、犯人は添島さんに間違いないと確信していた。自分の心の中に芽生えた、どす黒く醜い感情を、そろそろ認めてやらなければと思う。犯人は添島奈々美。そいつが縋っている黒谷君の心は、もう私に向いているのだ。いい加減認めたらいい。認めないなら、認めさせてやるまでだ。
「松下さん」
そいつの声がする方向に首を向けると、まるで見下すような視線を向ける添島奈々美が腕を組んで立っている。片側の口角がひくついているのが不気味だった。
「ちょっと、二人で話したい事があるんだけど、今日の夜、空いてる」
無機質な声に乗って、ありがたい言葉が飛んできた。
「ちょうど良かった。私も話したい事があったから。帰りにうちに寄って。場所は分かるでしょ」
添島奈々美の家は、駅から私の住むアパートの横を通ってその先にある事を知っている。出社する際に鉢合わせになった事が何度かある。
出社してきた黒谷君に、今日の手紙はもう破棄した事を告げた。
「もう限界だから。直接彼女と話そうと思って。彼女も私に話があるって言うから、今日うちに来てもらう事になったんだ」
喉元に何かが詰まったような感覚はもう消えなくなっていて、うまく声が張れない。黒谷君は私に近づいて話を聞くと「そうか」と頷いて、意味有りげに私の方をぽんと叩く。
「一人で大丈夫?」
大げさな程心配そうな顔をして私の顔を覗き込むので、私は精一杯の笑みで返す。
「心配しないで。何とかするから。うん」
仕事は上の空で、添島奈々美を残して私は帰宅した。
帰宅する頃にはもう、私の心は決まっていたように思う。黒谷君が言っていた言葉が去来する。