世界の終りまで……-1
――月も星も出ていない真暗な夜。
森の奥にある沼地へ訪れる、物好きがいた。
プカリと浮き上がり、頭を水面に突き出すと、とっても見たくない相手がいた。
「まぁーた逃がしたのか。これで何人目だ?お前、ちっとも交代できねーじゃん」
フルートを片手にした青年に、私は水を引っ掛ける。
「うるさいわね!黙って笛でも吹いてなさいよ!」
「プハッ!王都でお前の身体を見かけたからさ。今度こそ生贄を手に入れたかって思ってたんだけどなぁ。ま、余計な忠告してやってたヤツもいたけどよ」
『笛吹き』ったら、いつもこうだ。
私が生贄を逃すたびに、こうやってからかいに来る。
同じ悪魔なのに、自由に歩けるなんて、憎ったらしいたらありゃしない。
「私だって、今度こそはって思ったわ。でも仕方ないわよ。だって……」
水に濡れた私の頬を、溢れた涙が更に濡らす。
『歌姫』になったのは、もう思い出せないほどはるか昔の事だ。
私が騙されたように騙してやると、いつも決意するけど……結局、私は沼に戻ってしまう。
新たな身体で自由を満喫しようとしても、ちっとも楽しくないからだ。
友達と信じていた相手に裏切られた痛みを、私は誰よりもよく知っている。
誰にもバレなくとも、この暗い沼地で、一時の楽しい時間をくれた相手に、その辛さを押し付けた罪を、私自身が知っているから。
「だって……フルールは、謝ってくれたんだもの」
泣き顔のまま、私は口を尖らせる。
「他の子たちは、私を本気で溺れさせようとしたのにね。思い直して謝ってくれたのは……あの子だけだったわ」
「ふぅーん。女ってわかんねーな」
「軽薄男なんかに、わかって貰わなくて結構よ」
「んなに怒るなって。久しぶりに、飲みに行こうぜ」
ニヤつく笛吹きを見上げ、私は観念してため息をついた。
「そうね。こんな時はウサ晴らしに限るわ」
「そうこなきゃ」
笛吹きはかがみこみ、沼の水を特別な水筒に詰める。
私もしゅぽんと、その中に入った。
「たまには酒場にいる連中にも、お前の歌を聞かせてやれよ」
「連中?あそこにバーテンと貴方以外、誰がいるってのよ」
「そうそう。俺ら二人がいるじゃねーか」
「貴方って、いつもフラフラしてお酒とフルートばっかり。ろくでなし」
「そりゃ、お前と同じ悪魔だからなぁ」
「ちょっと!一緒にしないでよ!」
揺れる水筒に入って口論しながら。私はたった一箇所だけ行ける、沼以外の場所へ向かう。
悪魔だけが客になれる、世界の果ての酒場へと。
無愛想なバーテンが磨きぬいた小さなステージで、私は歌うのだ。
きっと、世界の終りまで……
だって、私は『歌姫』だから。
終