本物の歌姫-1
―――しばらくぶりに沼にやってきたあたしを見て、彼女は嬉しそうな声をあげた。
「久しぶりね!王都の音楽祭はどうだった?」
沼の岩に座り、緑の藻でできたドレスを身につけた、赤毛のさえない女の子が尋ねる。
喉はすっかり治ったらしいけど、その声もやっぱりつまらない、平凡な声だった。
「ええ。優勝できたわ……」
あたしは沼のほとりに座り、華やかな王都の出来事を、彼女に話してやる。
すっかり話し終わってから、ふとあたしはずっと気になっていた事を尋ねた。
「ねぇ……ところで、貴女の名前はなんて言うの?」
「いまさら何言ってるの?私の名前は『歌姫』よ」
おかしそうに声をあげて、赤毛のつまらない女の子がケタケタ笑う。
「それは称号でしょ?」
「称号でもなんでも、この世界で一番の歌姫は私だもの。私は『歌姫』なの」
「違うわ!」
思わず、立ち上がってあたしは怒鳴った。
“借り物の力で得た、偽りの勝利を賛美しようとは思いませんよ”
冷たいアイスブルーの双眸と、嘲笑めいた冷酷な声が、あたしの脳裏に蘇る。
「ねぇ?何を怒ってるの?」
『歌姫』を自称する沼の悪魔が、滑稽なものをみるように、あたしの顔を覗き込む。
「……歌姫は、アンタじゃないわ」
びっくりするほどドス黒い感情が、腹からわきあがった。
「そりゃ確かに、声とこの身体を借りたわ。 でも、王宮で緊張に耐えて歌ったのは、あたしよ!!沼から出られないがアンタ持っていたって、この声も美貌も生かす事なんかできなかったじゃない!!」
「でも……歌姫は私よ」
薄笑いを浮べたまま、彼女は断固として譲らない。
「違うわ!!」
表現しがたい怒りをぶちまけ、あたしは声を限りに叫んだ。
「アンタじゃない!!『歌姫』は、あたしよ!!!」
―――その瞬間、彼女がニタリと笑った。
「え……?……えっ!?」
気付けば、沼の岩に座っているのは、あたしだった。
美しい金髪をしっとり濡らし、ほっそりした白い身体に藻のドレスをまとい、冷たく硬い岩の上に、あたしは腰掛けていた。
水辺では、赤毛の女の子がニヤニヤ笑っている。ほんのさっきまで、あたしが着ていた綿のワンピースを身につけ、革靴を履いて。
「ええ。これからは貴女が『歌姫』よ。」
「どういう事よ!?」
「アハハハ!!!私、もうずぅぅーーーーっと前から、私に代わって歌姫になってくれる子を待ってたの。本当に友達って良いわね。ありがとう」
「な……っ」
「これでもう、私は自由になれる。この身体、貰うわ!」
「騙したの!?ひどい!!」
「あーら?貴女が勝手に、歌姫を望んだのよ」
「だ、だって……」
「まぁ、気長に待ちなさいよ。誰かが貴女と同じように、歌姫を名乗ってくれれば、交代できるから。この誰もこない沼じゃ、なかなか難しいけどね。アハハハ!!」
ケラケラ笑いながら、『あたし』は走り去っていく。
「待ちなさいよ!!」
慌てて岩から飛び降り、追いかけようとしたけれど……
「きゃぁっ!?」
外へ出ようとした途端、見えない無数の手が、あたしを沼へと引き戻す。
「離して!!離してぇ!!」
めちゃくちゃに暴れたけど、どんなにもがいても、沼から一歩も出られない。
叫んでも叫んでも、不気味な静寂と、ときおりあざ笑うような鳥の鳴き声が返って来るだけだった……。