本物の歌姫-2
――あれから、何週間たっただろう。
冷たい濁った沼の底で、あたしはうずくまっていた。
時々、あたしは沼の水面に出て歌う。
魔性の美しい歌声で、知る限りの歌を歌う。観客もいなければ、拍手もない。
けれど、歌わずにはいられないのだ。
だってあたしにはもう……それしか出来ない。
「……」
ふと、水辺に気配を感じ、あたしは身体を浮かび上がらせた。
「どう?沼の生活は慣れたかしら?」
かつての『あたし』が、ニヤニヤしながら水際に立っていた。
「よくも……っ!!」
湧き上がる怒りのまま、あたしは両手を振り上げて沼の水を操る。
軟体の触手のように形を変えた水が、近づきすぎていた彼女の足を捕らえ、縛り上げた。
「きゃあ!」
「アハハハ!!昔、自分が出来た事を忘れたのかしら!?それとも、あたしができないと思ったの!?」
「っ!!!」
水の触手に巻かれた彼女は、蒼白になって手も足も出ない。
「このまま、溺れさせてやる!!」
沼の中央まで引き寄せ、二度と浮かび上がれないよう、暗い水中に沈め………………れなかった。
「……わたしを、溺れさせるんじゃなかったの?」
水辺に座り込み、青ざめた彼女が静かに尋ねる。
「…………もういいから、帰ってよ!!」
触手を離し、ずぶぬれの彼女に背を向けて怒鳴る。
「こうなったのも全部、あたしの自業自得だわ!借りたものを、自分の物だと思ってイイ気になって……親切にしてもらった事も忘れて……これ以上、みっともない真似をさせないで!!」
あれから、ずっと考えていた。
最初こそ、怒りしか感じなくて、もし彼女の姿を見たら、本当に殺してやろうと思ったのに……。
この暗い水底で、彼女がどれほどあたしを待ち望んでいたか、よく身に沁みた。
美しい声や身体を貸してくれたのは、罠にかける為だったのかもしれない。
あたしの欲望を引き出し、身体を乗っ取る下心も、確かにあったんだろう。
でも……本当に悪意しかなければ、もっと上手なやり方があったはず。
「お互い様じゃない……あたしが先に、貴女を裏切った…………ごめんね」
震える声で、あたしはようやくその言葉を呟いた。
「だから、もうここに来ないで……」
背後で、彼女の立ち上がる気配を感じた。
そして、ひそやかなため息。
そのまま立ち去る足音を聞くのが耐えられず、水底へ潜ろうとしたあたしの耳に、泣きそうな声が聞えた。
「そうはいかないわ……だって、私が『歌姫』だもの!」
緑の閃光が、あたしの身体を貫く。
「どうして……」
水辺にへたり込んだまま、あたしは水面に浮かぶ金髪の歌姫を見上げた。
「どうだって良いでしょう?悪魔は気紛れなものよ」
腰に手を当て、フンと彼女は見下した目であたしを眺め降ろした。
「そうね……どうせなら、もっと素敵な身体が欲しくなったって所かしら。貴女の生活も悪くなかったけど、気長に他を探す事にするわ」
彼女の足元から、不気味な水の触手が何本も這い上がり、威嚇するようにうねってみせる。
「さぁ!ここから立ち去るのは、そっちよ!!!!」
「きゃぁ!!!」
恐ろしい怒鳴り声に弾かれ、あたしは無我夢中で駆け出した。
走りながら、涙が溢れて止らなかった。