沼の歌姫-2
それからあたしは、こっそり沼に通い続けた。
歌姫のおかげで、あたしの歌はどんどん上達した。
「うん。すっごく良かったわよ。あとはもう少し、息継ぎを……」
くったくない笑顔で、歌姫は親切に励まし教えてくれる。
時々、歌にあわせて魚にダンスをさせたり、沼の水を生物のように操って見せてくれる事もあった。
それから、たわいないおしゃべりも沢山した。
悪魔といっても、ちょっと世間ずれしてるだけで、彼女は普通の女の子とあまりかわらない。
村の出来事や、学校の話を興味深そうに聞き、ときどき持っていく小さなキャンディーを、すごく嬉しそうに食べる。
最初こそ、歌姫に会いに行くときは、内心ビクビクしていたけれど、いつのまにか彼女は一番の親友になっていた。
そして、コンテストの前日。
「どうしたの?」
泣きながら沼に来たあたしを見て、歌姫は驚いた。
「……アタシ……コエガ……」
しゃがれてひび割れた声で、それだけ言うのも、精一杯だった。
お医者さんが言うには、喉に悪いできものが出来てしまったそうだ。二ヶ月は歌っちゃいけないと言われた。
そうでなくても、痛くて痛くて、歌なんかとても歌えない……。
あんなに頑張ってきたのに……。
歌姫は、なんとも言えない表情であたしを眺めていたが、不意に明るく言った。
「なら、私の声を貸してあげるわ」
「?」
そして、歌姫は歌いだした。
美しい旋律が、ぼんやりと緑色の光を放ちながら歌姫の喉から溢れ出て、あたしの喉へ吸い込まれていく。
ヒリつく喉の痛みが、波のように引いていった。
「……シャベッテミテ」
呆然としているあたしを、歌姫がにっこりと促した。その声はひどくしわがれて病んだ、あたしの声だった。
「あ、あーーー……え!?」
そして、あたしの喉から出たのは、歌姫の声。
美しい美しい、どんなに練習しても、人間は永遠に得ることの出来ない、魔性の声。
「コレデ、ウタエルデショ?」
「あ、あ……ありがとう!本当に、ありがとう!!」
翌日。
あたしは歌姫に借りた声で歌い、満場一致で優勝した。
これも悪魔の力がなせる業なのか、声が変わっている事に、両親さえも気付かないようだ。
皆があたしの歌にうっとり聞きほれ、賛美してくれた。
――ただ、数人を除いて。
「おめでと、フルール。アンタにも一つくらい、得意なモノがあって良かったわね」
二位になったマガリーとその取り巻きが、噛み付きそうな顔であたしを睨んでいた。
同い年のマガリーは、村長の娘で美人、成績も優秀と三拍子そろってる。
今回のコンテストでも、優勝できるのは自分だと、彼女は前から豪語してた。
それが、いつも小バカにしてるあたしなんかに負けて、悔しくてしかたないんだろう。
いつもなら、トゲのある嫌味に耐えられず、こそこそ逃げ出してたけど、今日のあたしは違う。
「ええ。王都に行って歌えるなんて、夢見たい」
優越感にひたりながら、言い返してやった。
「っ!いい気になってるみたいだけど、忠告してあげるわ。アンタみたいなブスが王宮で歌っても、恥をかくだけよ。鏡でそのみっともないそばかすと赤毛をよく見たらどう?」
「……」
さっきまでの得意な気持ちが、みるみるうちにしぼんでしまった。
今度は言い返せなくて、花束を握り締めて駆け出す。
後から聞えるマガリーたちの嘲笑から、必死で逃げた。
コンテスト会場から、その足でまっすぐあたしは沼に行った。
遠くからあたしを見た歌姫が、岩の上で手を振る。
「ドウダッタ?……アラ?」
まだガラガラ声の彼女に、花束を差し出した。
「ありがとう。おかげで優勝できたわ……声を返すわね。王都になんか、とても行けないもの」
泣きながら、マガリーに言われた事を訴えた。
「ソンナ、イジワル、キニシナイコトネ」
「歌姫みたいに綺麗な金髪の子に、あたしの気持ちなんかわからないわよ!」
思わず叫んだら、歌姫の金色の瞳に、傷ついたような色が走った。
「あ、ご……ごめんね……つい……」
「……ジャァ、コウシマショ?」
歌姫の白い手が、優雅な仕草で舞う。
ぼんやりした薄緑の光が、あたしと歌姫の身体を包んだ。
「……う、嘘……」
透き通るような白く細い手を見て、あたしは大慌てで沼の水に顔を映す。
水面に映っているのは、赤毛で少し太めのみっともない女の子じゃない。
金髪の、美しい歌姫だった。
「カラダ、カシテアゲル」
「で、でも……」
「コマッテルノ、タスケルノガ、トモダチデショ?」
あたしの姿をした歌姫が、水面に立ったまま、にこりと笑う。
「コレダケ、ワスレナイデ……ホントのウタヒメは、ワタシよ」
「ええ!王都から帰ったら、かならず返すわ!」