南風之宮にて 3-9
そういえば、とエイが思い出したように訊ねた。
「一応、地図で見たガレン公城の方向に走ってきたつもりだけど、川沿いにこんな村があった覚えがないんだ。ここがどこかわかるかい?」
「……一昨年の戦で打ち捨てられた村だ」
ハヅルは地図を思い返しながら呟いた。
「南のイスルヤの侵略のごく初期に占拠された。終戦と同時にイスルヤ兵が出て行ってそのままになっているんだ」
窓から外をのぞくかぎり、焼け落ちて土台だけになっている家も数軒見られた。
南風之宮の最寄りの街であるニースス周辺はすっかり復興しているが、イスルヤ寄りの地方ではこういった場所は多い。
二人が落ち着いたのは調度が取り払われた小さな家だった。
絨毯張りの床は、長期間放置されていたために虫食いや腐食でぼろぼろになっていたが、焼け焦げも破壊の痕跡もないところを見ると、家人はイスルヤの占領前に無事逃げおおせたのだろう。
そうか、と彼は思案げに呟いた。
「……エイ? 血が」
呟きと同時に無造作に顔をぬぐった彼の仕草に、夜目のきくハヅルは、頬にたらりと流れたのが、汗ではないことに気付いた。
「かすり傷だよ。大丈夫」
「本当に?」
彼女は力の入らない体を引きずって彼に近付いた。
間近から無遠慮に、彼の全身を観察する。
注視され、彼は居心地悪そうに身をこわばらせた。
「エイ」
ハヅルは、あきれた声をあげた。
「?」
エイは満身創痍と言ってよかった。
顔や服にこびりついた泥や血のせいで、よけいにぼろぼろに見える。
だが、ハヅルは気付いた。
その実、怪我と言えるのは小さな打撲や擦り傷やこぶ……つまり、ハヅルをあの石つぶての嵐からかばったときについたものだけだった。
切り傷、掻き傷、その他もろもろの、触手や爪、牙によると思われる傷は、一切ない。
一切、である。
闘いの相手から受けた傷は全くないのだ。
相手の攻撃は彼にかすりもしなかったのだ。
「すごいな……本当の天才だ」
まともな人間相手ならばともかく、魔族を相手に。
自然と洩れ出た感嘆に、エイは面映ゆそうな顔をした。
そのときだった。壁越しに、地鳴りのような低い音が耳を打った。
二人の表情に緊張が走る。
エイはそろそろと隙間の空いた雨戸の窓際に近付いた。
「……魔族か?」
し、と彼は人差し指を唇に押しあててみせた。
ずる、とひどく重いものを引きずる音がした。それに重なって、さらに巨大な何かの規則的な歩行音が。
それらがだんだんと近付いてくる。二人は息をひそめた。エイが外から見えぬように壁際に張り付く。