おしおきとご褒美と-6
朝、佐伯の車で自宅のアパートまで送ってもらう。また少し眠り、熱いシャワーを浴び、濃いコーヒーをブラックで胃に流し込んで職場へ向かう。睡眠は全然足りていないが、気分はすっきりとしていた。目の下に浮き出たクマと顔色の悪さを化粧でごまかす。
教室の窓を全開にし、空気を入れ替えると気持ちもすっきりするように思う。もっとも、目の前に片側4車線の国道が走っているような環境で、綺麗な空気など入ってくるはずもないのだけれど。
掃除を終え、郵便物のチェックを済ませてからパソコンを立ち上げる。着信メールは事務所や他教室からの連絡事項が数件。部長からの返信は届いていない。本来、社員同士の電話でのやりとりは最低限にするようにと決められている。お互いの忙しい時間を邪魔しないように、そして無駄話で時間をロスしないようにというのが理由だ。
時計を見る。午前10時半を少し過ぎたところ。まだ教室業務に慌ただしいほどの時間では無い。週末の期限日になって『企画書が届いていない』などとまた難癖をつけられるのはごめんだった。マヤは迷いながら、部長の携帯電話の番号を押した。
『はい』
「もしもし、お忙しいところ申し訳ございません、水上ですが……」
『ああ、社長の夜のおもちゃか。失礼、昼間もだったな。で? 何か用か?』
胃が締めつけられる。言葉がうまく出て来なくなる。震える声でどうにか言葉を絞り出す。
「あ、あの、き、企画書をメールに添付して昨日送信させていただいたのですが……」
『ふん、そうだったか。なにしろ俺のところには毎日何十通もメールが届く。そんなものいちいちチェックしていられるかよ』
「そんな……でも、週末までに部長のところに企画書を提出するようにと……」
『まあ、直接おまえが俺のところにデータを渡しに来るっていうなら見てやってもいい。ただし、そのときには俺にもたっぷりサービスしてくれよ? あんなキモブタ社長に好きなようにされている体なんだ、俺にだってちょっとぐらい良い思いさせてくれたっていいだろ?』
「そ……それと、仕事とは関係ありません……」
『関係ないだと? 社長に媚うって、仕事のノルマ緩くしてもらってる女がよく言うな。給料もおまえだけ下がらないんだろ? 女連中もみんなおまえのこと嫌ってるよ、若いからってあんなことして恥ずかしくないのかってな……まあ、俺だっておまえの態度次第じゃ、味方になってやらんこともない』
「態度……って」
『わかってんだろ? ……もし、俺の言うことを聞けないんなら、今度の会議のときに容赦なく吊るしあげてやる。与えた仕事も満足にできない馬鹿女だってな。企画書ひとつ提出できないような無能ぶりをみんなの前でさらけ出したら、社長だっておおっぴらにおまえのことをかばってやれなくなるだろうな』
これまでマヤは、どんなに馬鹿にされようが蔑まれようが、仕事だけはきっちりとこなしてきたつもりだった。たしかにノルマにうるさく言われることは無いが、だからといって手を抜いて仕事をしてきたことも無い。社長は会社に不利益になることを極端に嫌う。仕事そのものに不備が出てきたときに、社長がマヤを切り捨てるということは容易にありそうなことだった。
「どうすれば……いいと、おっしゃるんですか……」
『明日の夜、仕事が終わったら俺の教室に来いよ。どうすればいいか、たっぷり教えてやる……もう切るぞ、じゃあな』
「部長……」
ツーツーと音が鳴り続ける受話器を持ったまま、マヤは深いため息をついた。
(つづく)