第2話-2
帰宅後、英里の携帯に友人から電話があった。
他愛もない話から始まり、次第に恋愛の話で盛り上がる。
英里が誰と付き合っているかは、彼女にも話しておらず、遠距離恋愛だと偽っている。
『英里も長く続くよねぇ。しかも遠恋なのに。あたしなんか続いて3ヶ月だよ』
『…それ、短すぎじゃない…?』
呆れた声で英里は答える。
『ところでさぁ〜、もう一線は越えたの?』
『え?』
『も〜、わかってるんでしょ?エッチしたかってこと!』
露骨に言われて、英里はようやく友人が何を言いたいのか察した。
『……まだ』
『ふーん…ってマジで!?』
『何かおかしい?』
『だって…そんだけ長く付き合ってんのに…』
『私は…一緒にいられるだけで十分だから…』
電話越しに友人は大きく溜息を吐く。
『あんたがそんなんなら案外、セフレとかいたりしてね。遠恋なら何やってもバレないだろうし』
『えっ、ちょっと!どういう意味!?』
今のはさすがに聞き捨てならない台詞だった。英里はつい、声を荒げると、
『…おやすみ〜』
お話にならないと感じたのか、友人は一方的に会話を中断させてしまった。
通話が途切れてしまい、英里はばたりとベッドの上に倒れこむ。
こんな事、今まで考えた事がなかった。
会えない日々が長く続いていたので、今のように頻繁に顔を合わせられるだけで幸せだった。
それに彼の事は、勿論好きなのだが、体の関係を持ちたいと思い至った事がないのだ。
どうしても、教師と生徒という関係に縛られてしまう。
彼と体を合わせるという行為に、違和感を持たずにはいられなかった。
だが、それはあくまで自分のみの見解だ。
彼は、どう思っているのだろうか。
どんな風に、自分に触れるのだろう。
女の自分のとは明らかに異なる、節くれだった男らしい手が、そっと頬に触れる。長い指先で、唇に軽く触れる。優しく微笑みながら、徐々に顔を近づけて、唇が触れ合う。その後は…
拙いながらも頭の中に淫猥な想像が膨らんで、我に返った英里は思わず、自分の頬を両手で挟んで軽く叩いた。頬がかぁっと赤くなる。
…まだきっと自分には早いのだ。
こうやって、心が繋がっていると実感できるだけで、満たされているのだから。
梅雨時の6月も半ばを過ぎると、晴れの日は徐々に初夏の日差しがきつくなってくる。
夏服姿の生徒達の姿が眩しい。
英里も長い髪を珍しく一つに結んで、登校していた。
必死に欠伸を堪えながら、英里はゆっくり学校へと向かう。
昨日の友人の話がどうも気になってあまり良く眠れなかったのだ。
思えば、未だに自分は彼がどこに住んでいるかも知らない。
互いの事を、本当に何も知らない。
そう改めて認識すると、暗雲が立ち込めるかのように、にわかに不安が募る。
学校まで続く長い坂をのぼり終えると、校門の前に、圭輔の姿を認めた。
朝から爽やかな笑顔で生徒達に挨拶している姿が見える。
今朝は彼が遅刻点検する番らしい。
つい、気づかれないように顔を逸らしてしまう。
朝っぱらから自分が淫らな妄想に耽っているので、顔を合わせるのが気恥ずかしかった。
しかし、さすがに横を通り過ぎるのに、気付かれないはずはない。
「水越さん、おはよう」
「おはようございます…」
そそくさと、英里はその場を逃げるように早足で後にした。
その日の帰りの車内、圭輔は英里に問いかける。
今日一日、英里はいつにも増してうわのそらだった。
彼の担当している授業だけでも、ぼーっとしていると思えば、突然困惑したような顔をしたり、机に突っ伏したり…明らかに挙動不審で気にならないはずがなかった。
「…何かあったのか?」
「へっ!?」
実は、今も彼女はぼんやりと窓の外を見つめていた。
突然、圭輔に話しかけられ、驚いて彼の方を振り向く。
自分が考えていることを見透かされていると思い、英里は思わず顔を赤らめる。
…当然、圭輔にわかる筈はないのだが。
「な、何でもない…です」
「いいや、ある」
間髪いれず、きっぱりと圭輔は断言した。
普段沈着冷静な分、壊れた…もとい、何かに心を奪われている時の彼女の状態を、彼はよく承知している。
とりあえず、何か返答しなければ逃れられそうにない。
英里は思考を巡らせ、何とか答えを導き出した。
「えっと、私、圭輔先生がどんな所に住んでるのか、知らないなぁって」
あながち、嘘ではない。気になっていたのは確かだ。
咄嗟に考え付いたにしては上等だろう。
その言葉に、今度は返答に詰まるのは圭輔の方だった。
今も、貧乏学生していた時から住んでいるアパートに住み続けている。
高層マンションに住む英里に、あんな汚い家にあげたくないと思って、今まで彼女を連れてこなかったのだ。
「…先生?」
突如硬直してしまった彼に、今度は英里が心配そうに声を掛ける。
「そんなに知りたいなら、来るか?」
しばらく沈黙した後、観念したように圭輔が呟く。
「い、いいんですか…?」
「たぶん、後悔すると思うけど」
「行ってみたいです!!」
興奮を抑えきれずに、普段より少し大きな声で英里は返事をする。
また一つ、圭輔の事を知る事が出来る。それが英里には嬉しかった。